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「R帝国」(中村文則)を読んで友だちの感想を聞いた

R帝国を読んだ

R帝国を読んだ。ディストピアが舞台の救いの無いようなあるような無いようなお話。多分人類が一回滅びたかほとんど壊滅したかの後のうんと未来の元日本のお話。おそらく。

トピック・センテンス

「人々が欲しいのは、真実ではなく半径5メートルの幸福なのだ」

率直な感想

全体的に面白く読んだ。都合のいい展開とか仕掛けとかもあるけれど、まあ小説にせよ漫画にせよ大体のものはご都合主義なのでそれほど気にはならなかった。

ディストピア

ディストピアって悪くない。自分の頭でものを考えないで済むから全部人の所為にできるし、疲れてるときはそのくらいでいいとか思うこともある。戦争さえしないでくれて、自分が幸せを感じれるのであれば。
というのはいささかいいすぎで、自分で決めれない人生なんて最悪だと思う。「抵抗」という言葉が無い世界。グロテスクすぎる。絶対に嫌だ。自分のことは自分で考えて自分で決めて誰にも文句を言わせたくない。
でもディストピアそのものには甘い面が多分にあるということ。きっと分かっておく必要があるんだろう。

半径5メートルの幸福

トピックセンテンスについては一定は別にいいじゃんというのがわたしの意見だ。半径5メートルの幸福を追求して何が悪いのだろう。それとも一日中、一円や二円のワクチンを打てない子どもたちのことを思い浮かべて憂いて暮らせというのだろうか。それとも夜眠りにつくまで、虐待に喘ぐ子どもたちのことを、農場で強制労働させられる子どもたちのことに思いを馳せて泣いて暮らせばいいのだろうか。

いやそれは言い過ぎだ。わかっている。

けれど、常に永遠に延々とそんなことを考えていたら日常生活は立ち行かない。心だって壊れてしまう。幸せな自分に罪悪感を抱き、他人も含めて批判しまくる人になってしまうだろう。それでいいなら、それでいいけど。

心の中は自由だ。さまざまなことをいつも考える。正義について考えることもあるだろうし、不埒なことに思いを巡らせることもある。言葉にしないからといって、何も考えていないわけではない。

話が逸れまくった。まあそんときそんときじゃない?というのが結論。考えるべき時に考えれて、誰かにそれを託せてれば、別に個人個人は半径5メートルの幸せを享受したってバチは当たらないだろう。いやバチなんて全員に当たればいい。出身地ガチャで勝った人間なんて、負けた人間からすれば全員敵だ。

ま、種族ガチャは動物園のパンダが唯一絶対の勝者だけれども。

続きが気になる

これどうなっちゃうの?とかこれどう落とすの?と気になってページをめくってしまう。続きが気になった時点で、自分の中では面白い小説と言えるのではという態度を一旦取る。

ラスト

悪くなかったと思うけど。

友だちの感想を聞いた

ディストピアの表現

「ここはディストピアです」ということを言い続ける物語、という表現を聞いて、ああそういうふうに読めるんだと思った。
わたしは、「ディストピア」という概念も分からない人たちに向けて、その不自然さや不健全さを示し、しかしそこに確実に存在する甘さやある種の合理性の危険性について分かるようにしつこく描いているんだと思っていた。

エピソードの脈絡

エピソードに脈絡が無い。

まあなるほどそうかもしれない。が、ある種ハリウッド的というか、なんか力で押し切る姿勢なのかなと思った。敵と恋に落ちたり、初対面の人間を好きになったり、記憶を消す薬とかも。で、それは受け取る側が「まあいっか」と思えればそれでいい気もするが、「まあいっか」と思なかったんだとは思った。

 

このほかにもいくつか話題はあったけれど、まあこの辺。