写真や映像の持つ記憶。国立新美術館企画展「遠距離現在」にお邪魔してきた。

蛮族の地と記憶と

突然ですが問題です。「蛮族の地」とはどこでしょう?
正解発表は各方面の怒りゲージを考慮して保留としたいが、わたしはとにかく蛮族の地に住んでいる。

蛮族の地では祭りに事欠かない。各神社の例大祭、足を伸ばして三社祭、七夕祭り、エトセトラエトセトラいろんな理由をつけてとにかく祭る。とにかく蛮族の地は初夏から祭りで大忙しなのである。そしてそのどれもが、楽しい。

祭りの高揚は何に似ているのだろう。ものすごい大規模な文化祭に近いが、それよりはもっとスケールが大きいしテンションも高い。
多くの祭りのメインはなんといっても神輿で、祭囃子が街中に響き渡って大きな太鼓の音に合わせて神輿が担がれる。ふんどしに法被姿の兄ちゃん、おっちゃんが必死に神輿を運んでいく。それわっしょいわっしょい。

もう年も年なので記憶力も薄れ様々なことを覚えていられないため、こうした写真を記憶の外部委託ってことでクラウドにほいほいと保管していく。iPhoneを利用しているので、勝手にiCloudに溜まっていってすこぶる便利だ。

ときどき無目的に時系列に並んだ写真をスクロールして眺める。iPhoneを使い始めた2010年くらいの写真から保管してあり、あまりの若さに自分で目が眩む。目が眩む。目が(しつこい)。

写真に込められる情報量は多い。ただ景色を切り取るだけでなくそのときに感じたことなんかも確実にスクリーンショット的な瞬間の記憶として収められるし、その時期の世界の空気感やムードも重ねて記憶される。バブルの頃の写真を見ただけでバブルとわかるような、そういう感じ。

国立新美術館企画展「遠距離現在」

さて先日というか一昨日、国立新美術館で行われている企画展「遠距離現在」にお邪魔してきた。

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コロナ以前に作られた作品をコロナ後の現在解釈し直して再定義する、みたいな展示で、オシャレなものから素朴なものまで、大変楽しんで鑑賞することができた。

キャッシュに保存された画像

その中で面白かった作品の一つは、PCのキャッシュに保存されている画像を床一面、壁一面に敷き詰めたインスタレーションだ。

あえて保存した画像ではなく、キャッシュに保存されていた画像。自分のPCのキャッシュにはどんな画像が保存されているのだろう。エロ画像は確実に無いが、と思ったけど攻略サイトの広告のエロ画像とか保存されていたりするのだろうか、仕組みはよくわかっていない。最近は「デスク おしゃれ」「デスク 小さい」などといったワードで検索をしているので、そういう写真がうわーーーーっと溜まっていっているのかもしれない。

これだけの量の画像が並ぶと、一枚一枚の写真が持つ記憶などというものはほとんど意味をなさない。並べ方によってそれらの意味は変わってくるし、時系列にたとえ並べたとしたってそのたまたまの順序によって新たな意味が与えられるものでもあるだろう。

記憶ってなんなんだ。頭の中ってどうなってるんだ。そんなことを思わせられた。物量でぶん殴ってきているので、ぜひ現地で味わってみてほしい。

防犯カメラの動画で作るフィクションムービー

もう一つすごいと思ったのが、中国の防犯カメラの動画を切りはりしてアテレコしてまったく架空の物語を作った作品だ。

まず中国では防犯カメラがものすごい量設置されていることは知っていたが、それがウェブ上にアップロードされていて誰でも閲覧可能だということに驚いた。ストーカーし放題じゃん。

で、何度も同じ人が出てくることを利用して、アテレコしてまったくのフィクションムービーを作ってしまったというのだ。すごい。

「映像の持つ記憶」を捏造するわけだ。なかなかの挑戦。「写真」や「動画」が何かの動かぬ証拠であるという前提をぶっ壊す作品。それが中国人アーティストによって作られているというのがなかなかに示唆的で興味深い。二重の意味がある。

本編80分ということで観られなかったが、メイキングだけ見ることができた。本編も絶対面白いと思うので時間が有り余っている方はぜひみてみてほしい(って無職のお前がいうな感)。

記憶はきっと個人個人のレヴェルでも捏造されている

写真や動画で保存された「記憶」も、想起する時点での状況や感情によって確実に演出されるし、多かれ少なかれ意識的であれそうでなかれ可変的である種暴力的なものだ。

わたしたちが小さな筐体に、広大なネットの海に保存している写真や映像は、一体どんな意味を持つのだろうどんな意味を付与されていくのだろう。

いろんなことを考えた展示だった。

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