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【歌集感想】水中翼船炎上中 / 穂村弘

一番最近の穂村弘の歌集。章ごとに時間軸が異なる。現在、子供時代、子供時代(冬)、子供時代(夏)思春期へのカウントダウン、昭和の終焉から21世紀へ、21世紀初頭のパラサイトシングル像、母の死、その後、その後、再び現在。

スカした感じがなくなったと思った。穂村弘ってあんまり歌集出していないのが意外だった。日本で有名な歌人を挙げろと言われたらトップ3に入ると思うのに。

レインコートをボートに敷けばふりそそぐ星座同士の戦のひかり

現在。

ボートの汚い床にレインコートを敷いて寝転んで空を見上げると、星座が浮かんでいる。それだけの歌なんだけれど、なんだかその楽しい雰囲気が伝わってくる。戦いあっているかのように強くひかる星座たち。田舎の湖とかなのだろう。夜こっそりとボートに乗り込んでいるワクワク感もあってよい。

 

しかし今回の歌集は子供時代、思春期へのカウントダウンがとにかくよかった。

鳥と樹は仲がいいのか午後二時のひかりのなかに遊びつづけて

午後二時。六時間目だろうか。退屈で眠くてだるい午後の授業中に外をみやると、樹に鳥がとまっている。おそらく枝や葉や実をついばんでいるのだろう。その様子が、鳥と樹が仲良くしているように見える。懐かしい気持ちになった。

楽しい一日だったね、と涙ぐむ人生はまだこれからなのに

子供時代編に限らず、結構今回の歌集は三人称的な視点から描かれている歌が多かった。この歌も、子供時代編なのだから、視点が主人公ならば「人生はまだこれからなのに」という言葉は出てこない。第三者の視点がある。
この歌はすごいね。まだ人生なんて単語、脳裏によぎることもないくらい毎日が大きい子供時代に、確かに「楽しかった」と涙ぐむような場面が誰にでもあったはずだ。でも人生にはまだこれから、もっと楽しい一日もあるし、悲しい日も寂しい日もある。そうした広がりがある歌だと思った。

夜ごとに語り続けた未来とは今と思えばふわふわとする

子供の頃、毎晩のように未来について語り合った。ああなりたい、こうなりたい。あれをしたい、これをしたい。こういう風にはなりたくない。
ふと思えば、今がまさに「あの頃の未来」なのだ。これに気づいたとき、しばしば人は愕然とする。未来とは、きらきらした夢や希望に溢れた場所だった。必ずしもそうはなれなかった事実が寂しくなるのだ。
しかしこの歌では「ふわふわする」という表現をしている。字義通りなら、心がただよっているような、さだまらないような様を言っているのかな。つまり、それを「さびしい」と名づけるまでは行っていないのだろうと思う。ただなんとなく、あの頃の自分を思い出すと、収まりがわるいとかきまりがわるいとか、そういうことなのかな。その中間の気持ちって、大事かもしれないなと思った。

 

などなど、年代別になっている歌たちは、子供時代、思春期、そこからの脱却などのあたりの年代がすごくよかった。子供時代は、この言葉使われるの嫌いな人も多いと思うんだけど、エモかった。

ただ短歌ってなんかよく一人称の短詩って言われるけれど、上にも書いた通り、三人称的な短歌が結構あった気がするのだ。俯瞰的というか。あまり他の人の短歌読んでいてそういう風に思うこと少ないからすごく印象的だった。挑戦的なのかなあ。

そんなこんなでした。