警視庁野方署では一人の人物が取り調べを受けていた。酒屋の店主と自動販売機を殴ったということだった。取り調べには素直に応じるものの、自分の名前を「スズキタゴサク」と名乗り、住所を含む様々な個人情報を「記憶喪失」と言って捜査を撹乱する。もとより、取り調べにあたった警官も、店主が「自動販売機の修理費用だけでよい」と言っているので、丸め込みたいと思っている。が何しろタゴサクがのらりくらりと言葉をかわしていく。
そのスズキタゴサクが突如「霊感がある」と言い出す。「秋葉原の方で何かが起きますよ」というと、指定された時刻に秋葉原で爆発が起こる。
そこからスズキタゴサクは(事実上)爆弾魔として取り調べを受けることになる。実際には、「霊感的には次はどこか」などと聞き出すのだが、タゴサクは「霊感は刺激されることで生まれる。ゲームをしましょう」などと言葉遊びの様なゲームを始める……
(ネタバレあり)
タゴサク気持ち悪いにも程がある。「仲間を無意識に選別してそれ以外は死んでもいいと思ってる」というのはその通りだとして、だからなんだっていうのかとわたしは思ってしまうのだが、読んでいる人の良心にも訴えかけるものがある。幸田が足を無くした矢吹を思いタゴサクに銃を向けるのは幼いなとは思ったが、「仲間をやられたらやりかえしたくなるのが道理でそこに「命は平等」なんていう綺麗事はない」というタゴサクの主張は半ば証明され、そして「殺したい」という欲望がタゴサクに向いたことでタゴサクは歓喜する。常に排除され、ときに疎まれ、ときにいないものとされ、命の価値を軽視されてきたタゴサクは、それゆえ自分に「欲望」が向けられたことに興奮を覚えた。それは極めてロジカルでわかりやすい心理だが、とにかく描写が気持ち悪い。
動画のクリック数が決まった数に届いたら爆弾が爆発する、場所はいろんなところで、対象じゃないところなんてない、というタゴサクの動画を見た視聴者たちは何を思っただろうか。そうやって、多くの人のささいな悪意や下世話な好奇心、あって当然の恐怖心につけこんで、思い込ませ(クリック数を参照して起爆するのは本来は技術的にむずかしい)、罪悪感でいっぱいにさせて、タゴサクは何を求めてるんだろうか。幼稚なんだよ主張が。
さまざまな警官、刑事が出てきてそれぞれの思惑があるわけだけれど、それらはすべて読者の心情の代弁者だ。そんなふうに思う気持ちをきっとどの読者も抱えている。
だから読者に訴えかけているのだろう作者は。わたしもいろいろと考えさせられた。命の価値は平等でも、個人個人の中での重みづけはある。だから綺麗事はやめろとタゴサクはさまざまに訴える。しかし、綺麗事をいいつつ現実を認めることは、大人なら誰でもできることだ。矛盾を矛盾のまま保留にして、そのときそのときの自分の心に正直であること、自分の中の正義を貫くこと、それを大人はできるようになるんだよと思った。タゴサクは結局、幼稚なんだよな。人との関わりを持たずに生きてきたから、そういう矛盾を飲み込む練習がなかったんだろう。無敵の人を描くならここまでやらなくちゃだめだなと思った。名作って言葉で表すんじゃないと思うけど、エンタメとしても内省を促す書物としても、面白く読めました。
