高校生の理帆子の家は両親が不在で、理帆子は夜友達と飲みに出かけたりする。一方でF高校という進学校に通っており、また、子供の頃から息をするように読書をするという一面も持っている。というかそこが全面。
そんな理帆子は変わった遊びをしている。藤子・F・不二雄が自らの漫画を「SF」=「すこし不思議」と言っていたことを受けて、知り合う人たちの特性を「SF」で表すという遊びだ。たとえば、母親のことは「少し・不幸」といった、そういう具合に。
そんな理帆子はあるとき同じ高校の新聞部に所属しているという別所あきらに「写真のモデルをしてほしい」と頼まれて……
<ネタバレあり>
若尾が怖すぎた。ファーストフードストアで髪を染め直してトイレから出てきたシーンはホラーでしかなかった。
理帆子があきらと出会い、心を許していくのは物語の結末を知ればまた道理。こういう「すかした」女子高生、わたしが高校生だった時みたいだなあとか思って、わたしにも「別所あきらをくれよおおお」と神様を逆恨み……はしないが、こんな理解力のある人に心を見透かしてもらって、打ち解けあって、心を救ってもらえたら、あの頃のわたしはさぞ幸せだったろうとか思ってしまった。
それはさておき、理帆子がさらに郁也と出会い、物語を通じて再生し、再生させていく様は、はい泣けました。こういうの弱い。心の連鎖。お父さんが心配してみにきてくれて、助けてくれたんだねえ。涙涙。すべてが伏線。
若尾がストーカーになって何かしてきてることは読めば普通に分かったし、きっと何かをするんだろうと思っていたので、一瞬あの電車の事件が若尾の起こしたものだと思ったら違くてそれはよかった。そうだとしたら理帆子はもう何をしても救われなくなってしまって物語成り立たなくなる、もしくは別の形の物語になってしまっていただろうから。郁也が助かることは話の成り行きからして「必要」だったので心配はしていなかったけれど、ヒヤヒヤはした。
辻村深月作品を読んだのは「傲慢と善良」「かがみの孤城」に続き三作品目だったけれど、どれも違う読み味で、球種が多い作家さんなのかなあと思ったり。どれもなんとなくオチがうっすら「読め」はするんだけどちょっとだけそれを上回ってくる感じが絶妙で、他の作品も読みたいなと思った。「傲慢と善良」は読んでるとむかつきしかしないのでもう一生読み返すことはないと思いますが笑
