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早稲田大学国際文学館 収蔵企画「大橋歩 村上ラヂオの版画展」

東西線はいつも混んでいる。東から西へ人を運ぶための電車だ。ラッシュ時の東西線には乗るものではない。やむをえず乗らざるを得ない時にはどうぞ、両手をあげてお乗りください、自己防衛のために。

というわけだが休日の東西線はさほど混んでいない。日本橋から乗り換え、早稲田とかいう早稲田大学のためだけの駅にて降りる。歩く。早稲田大学に着く。正門じゃないっぽいところから入って少し歩くとその場所はある。

早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)だ。
もっとボロい大学に通っていた身としてはおしゃれすぎ癪だがまあよい。

この施設は、村上春樹ライブラリーという異名を持つ通り、村上春樹関連の著作物(創作物、翻訳物など)が3,000冊以上所蔵されている。村上主義者にはたまらない施設である。

なお、わたしの立場をはじめに表明しておきたい。
わたしは、村上主義者だった。そして今もなお、少し主義としては持っている。
15で村上春樹に出会ったわたしはすぐにかぶれ、友達と喧嘩した時に「怒ってる?」と聞かれ「怒ってない。怒る必要ないよ」などと答える人間に育った。夏休みの読書感想文で課題図書を読まずに「レイモンドカーヴァー全集」から「僕が電話をかけてる場所」について書いて提出した。成人式ももちろんキャンセルしたし、大学の授業もサボってビリヤードに興じた。
新刊はもちろんすぐに買ってもらった。大学生になってからは自分で本を買うようになったが、村上春樹だけは文庫落ちを待たず単行本の発売日に買った。

だが決別の時が来た。まず違和感を抱いたのは「海辺のカフカ」である。そんなやついない。そう思うと冷めてしまった。次に決定的だったのは「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」である。1から100まで意味がわからない。つまらない。面白いところがわからない。こうしてわたしは村上春樹と決別した。

そうして何年も経ち、「騎士団長殺し」が発売された。文庫になったものを図書館で借りた。なぜか。村上春樹が好きだからである。どうしても好きだったからである。青春そのものだったのだ、わたしの人生の生き方の大きな部分を形作っているのは村上春樹の著作物なのだ、わたしの文章だって村上チルドレンなのだ。ということで読んだ。

ふざけんな。

なにがおちんちんだ。なめてんのか。性犯罪者だろ。捕まれ。

ってことで憤慨していたのだけれど、村上春樹がまた新刊を出すという話になった。なんと!「街とその不確かな壁」を出すというのである。

街と、その不確かな壁」というのは過去に雑誌掲載されたままお蔵入りにされていた作品で、改変を加えられて「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」という作品の一部「世界の終わり」パートとして書かれた。

何を隠そうわたしが村上春樹作品で一番好きなのは「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」であり、とくにその「世界の終わり」が好きで好きでたまらないのだ。ということで、「街とその不確かな壁」は買って読んだ。良作という印象で、私の中では「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の方が圧倒的に面白かった。

という、歴です。長くなりました。

さて、村上春樹は小説家ではあるけれど、文章のうまさやウィットに富んだ表現、特徴的な感性から、エッセイがものすごく面白い。とくにわたしはananに掲載されていた「村上ラヂオ」が大好きだ。

ということで、前段が長くなったが、この村上春樹ライブラリーに「大橋歩み村上ラヂオの版画展」にえっちらおっちら行ってきたんだ、という話である。

建築がいちいちかっこいい。

大橋歩イラストレーターで、平凡パンチの表紙絵などを担当していた。

村上春樹がananで「村上ラヂオ」の連載をするにあたり、この大橋歩が銅版画でイラストを担当することになった。
今回の展示では、全214点の版画作品が展示されている。

すばらしかった。大橋歩の銅版画の「過剰じゃなさ」「ちょうどぴったり」という感じが村上春樹のすかした文章に最適だったと今でも思う。

めちゃくちゃよい展示だった。本当にあったかい気持ちになった。

村上春樹のスカした感じにノスタルジーをほんのり加えるのよな。とてもよき。

国際文学館自体は、さまざまな蔵書があり借りられるようで、またカフェも併設されていたり、コクーンチェアが設置されていたり、居場所としても大いに機能しそうないい建物だった。土曜だったからか人はあまりいなかったけれど。

 

ということで、この展示は9月21日まで。村上主義者はもとより、あったかい銅版画を眺めたい人や、早稲田大学に行ってみたい人などは足を運んでみてはいかがだろうか。もちろん無料です。

 

www.waseda.jp