大学の理系学部に進学した谷原豊は、そうそうに曽祖母の訃報を聞く。その第一声は「あーそう」。
地元の名家であるところの谷原家の人間が死んだということで、曽祖母が住んでいた家(今は祖母が一人になった)には、弔問客がやってくる。豊はたまに、祖母が出かけたりしている時などにその相手をする役目を追っていたが、あるとき、黒い紋付を着た40歳くらいの女性が弔問にやってくる。曽祖母とは女学校時代の友人であったという鵜沼ハルという女性だ。ちなみに曽祖母が亡くなったのは100歳、つまり女学校時代の友達であれば100歳ということになるが、どうみてもそうは見えない。
その鵜沼ハルは霊媒師として活動している。豊は幽霊の存在を一切信じていないが、この鵜沼ハルという人間に惹かれて霊媒師の助手のバイトをすることになって……
<感想>
柞刈湯葉どうした……。おもしろくねーぞ……。
では感想をブログに書く意味がないので、自分なりになぜ物語に入り込めなかったのかを考えた。
一つめは、主人公に全く感情移入できないこと。
前提として述べるが、物語を読む時に感情移入は必ずしも必要はないのだ。
そしてわたしの「感情移入」は、わたしがその人だったとしたらそう思うだろうな、という感情の移入の仕方である。「自分でもそうする、わかるわかる」じゃなくて、「この人ならそうするだろうな、こんな気持ちなんだろうな、わかる気がするよ」みたいな感じ。差は伝わるだろうか。
本作の主人公は、超理系(偏見でいう意味の)で、理屈で説明できないこと、エビデンスがないこと、再現性がないことをすべて否定し、そして作中でも指摘されているが、自分のそういった考えを唯一の正解と捉えていてそれ以外の考えをする人を若干見下している。それだけ聞くと、別にそういう人だというふうに感情移入することはできると思う。たとえば岩井圭也の「永遠についての証明」で超理系特性持ちの彼に感情移入できたように。なぜ感情移入できないのかといったら、主人公が考えてることと主人公の行動がなんだかちぐはぐだからなんだと思った。なんで霊媒のバイトしてんだ?もちろん、鵜沼ハルややってることに興味を持ってということはわかるが、幽霊の存在を一切信じないばかりか無駄を嫌い理屈を絶対視する主人公が、幽霊に話しかけ(るふりをし)たりする?
二つめは、単純に物語にそんなに魅力がなかった。動きがない。
ただし、最後の埋蔵金の正体や、なぜ今野さんが依頼し続けているかということについてはグッと来るものがあった。また、主人公が若干世俗に歩み寄ったっぽい結末も悪くはなかった。
が、よくこれを途中でぶん投げずに読んだと思う、積読が60冊ある中で。
柞刈湯葉だから読んだのだ、最後まで。柞刈湯葉だから。柞刈湯葉だから。
たのむ!
やはりすっとんきょうなSFを書かせたらピカイチなのでそっちを読みたいと思ってしまうが、作家としては幅を広げたいとも思うだろうからそうばかりもいかないんだろう。
「まず牛を球とします」「人間たちの話」「SF作家の地球旅行記」「横浜駅SF」「横浜駅SF全国編」はすべての作品が非の打ちどころのないくらい面白い作品だったのでハードルが上がっていたせいもあるかもしれない。
まあ、ね。うん。でもこれからもファンなので追いかけていきたい。
夫に話したら「好きな作家でも合わない作品くらいあるだろ」と言われましたし、そういうことだろう。
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