【読書感想】ほうかごがかり3 / 甲田学人

理不尽に集められたほうかごがかり。

1巻と2巻の感想は↓↓

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ついに、二人になってしまった啓と菊。啓は惺がしようとしていたことを全て引き受けると、また、すべての無名不思議の担当になると太郎さんに決意を語る。すると、太郎さんが「ほうかごがかり」をサボっている「最後の一人」由加志の存在を聞く。啓と菊は由加志の元を尋ね、由加志がどのようにしてほうかごがかりの始まりを拒否しているのかなどをしる。

そうしてもう一人の仲間を得た啓と菊。啓が「すべての無名不思議を絵に描く」と決めたことについて、「狐の窓」で菊は手助けをする。しかしあと一日で完成するというときになって……

 

 

いやーきゃーやめてー。と思いつつ、啓と菊の腹の座り具合に読者の腹も座ってきて、「最後まで見届けてやるよ」という気分になってくる。結果的に啓だけ生き残る(厳密には由加志も生き残っている)のは2巻の途中から自明だったが、本当にそうなってしまうとただただ寂しい。

神様の国。恐ろしかった。啓と一緒に自分も閉じ込められてしまうという恐怖にかられる。

そして太郎さんの正体、ネチ太郎の正体がわかってきて、これは続刊に期待だけど、もうこれ以上無邪気な子どもたちが確実にほぼ全員死ぬ話を読むかは分からない。

この作品が、初めから全部啓視点だったなら、こんなに苦しい気持ちにはならなかっただろう。そう言う意味では視点移動は成功している。急に視点変わるけど。視点が変わって、気持ちとか境遇とか行動とか、さまざまなことに共感、感情移入させられてからその人物が殺されるので結構しんどい。

さいご、菊と由加志と母ちゃんの見事な連携で啓は生かされる。このことの意味を啓は一生覚えているんだろう。普通ほうかごがかりは、かかりが終わると記憶が薄れて忘れていくそうだけれど、1巻の冒頭、3巻の終わりを見るに、どうやら覚えている「元かかり」として存在していそう。続刊では助ける立場として出てくるんだろうと思われる。
なんか太郎さん(多分ネチ太郎)のことも救ってあげてほしいよねえ、3巻まで読んだ身としては。

そういうわけで、苦しいけれども大変面白い小説だった。ぱちぱちぱちぱち。

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【読書感想】ほうかごがかり2 / 甲田学人

理不尽に集められた七人の「ほうかごがかり」
第2巻は第五話から第七話まで。

第1巻の感想などはこちら。

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第2巻はしんどかった。というかこの小説しんどい。推しがどんどん……ふえぇ。

第五話はイルマ、第七話は留希、惺……。えええええ。

イルマはほうかごがかりの仕事を拒否し続け、果ては啓にそれを押し付けるが、結局最終的には無名不思議によって死ぬ。第六話では菊の管理する無名不思議が題材となっているが、菊はまだ死なない。しかし管理している無名不思議がどんどん凶悪になっていて、いつ爆弾が爆発するかわからない状況でヒリヒリする。第七話ではいじめられっこの留希が無名不思議と仲良くなり、結果増大させ現実の世界にまで影響を及ぼせるように育ててしまい、現実世界で犠牲が出る。いじめっこの玲央とそれを助けようとした惺。留希もあとかたもなくなってしまう。

つっら。この小説本当に読み進めるのがつらい。無名不思議の描写が細かくて黒くて読むのがしんどいというのもあるのだが、その一話を通じて好きになった登場人物が残虐な死を迎えることがしんどい。しかし続きが気になって読み進めてしまう。

次は3巻。すぐ読むかはわからないが、近々に読むことでしょう。

 

 

【読書感想】ほうかごがかり / 甲田学人

ある日、目立たない小学生である啓は黒板に「ほうかごがかり 二森啓」と書かれていることに気づく。誰かのイタズラだろうと思い帰宅するが、夜中、不快な音に目覚めさせられる。隣の部屋からその音はしていて、寝ている母親が起きて騒いでいないのが不自然に感じ襖を開けると、通っている小学校の屋上に続いていて、無理やり押し出され、家に戻る手段を失う。気づくと、学生服のような服装になっている。
小学校には同じように学校に迷い込んできた七人の子供たちがいて、学校の「無名不思議(ななふしぎ)」を管理する仕事を負わされる。

そしてそれぞれが「かかり」として活動していくうちに……

全部で四話あり、一話二話は二森啓、三話は見上真絢、四話は緒方惺の視点で進む。全体的に、上に書いたことで分かるように怪談なので、ホラーが苦手な人は結構きつい描写があるかもしれない、特に三話と四話。

 

 

いやー。三話つらい。三話だけにつめこんでいるから、真絢の抱える苦しみが描写として深いとは言いづらいが、誰でも似たような気持ちを持ったことはあるはずで、そうだとすると結構刺さるし、「いやだー」ってなった。

四話でいろいろと明らかになる「ほうかごがかり」の本当の意味、意義。すべての小学校で同じことが起こっているという話。子どもはすべて怪物、もののけ、化け物、悪い神の生贄だという仮説。けど、一部「いや、それこうなってるから矛盾しとるじゃん」ていうところもあるが、まあ目をつぶれる範囲なのでよしとする。

「ほうかごがかり」になれて幸せだと言う惺。こういうメンタリティは持つ人は持つだろうと思った。けれど、いろんな建前や嘘や本音があって、かなり苦しいだろうなと思うし、自分なら誰かを救えると思うのも子供の描写がよくできていると思った。

いやでも普通に怖い。完結はしておらず、続きは2巻。これから読む。

 

 

【読書感想】永遠についての証明 / 岩井圭也

野生時代新人賞を受賞した岩井圭也のデビュー作。短めの13章からなる。各章で視点人物と時系列が変わるので、そういうのが苦手な人は一定数いると思われるが、まあよき物語なので読んでみてほしい。

物語は、協和大学理学部准教授熊沢勇一が、元研究室のボス小沼を訪ねるところから始まる。熊沢は「三ツ矢暸司の研究ノート」を小沼に見せ、一緒に検討してもらえるように頼む。

三ツ谷暸司は数学の天才で「数覚」を備えた学生だった。高校までは同じものを見てくれる友達はおらず、大学へ入学して初めて同じ目線でものを語り、考え、協力して研究していくという経験を積んでいく。初めて居場所ができたように感じる。
しかし……

 

 

「見える」人は「見える」のだ。だからそれを理屈で説明することは難しい。これはその通り。
村上春樹の「風の歌を聴け」で彼女が「パスツールには科学的直感力があった。普通はAならばB,BならばC、よってAならばCのところ、パスツールにはAならばCというだけで、しかしそれが正しかったのは後の研究が証明した」というようなことを言うのだが、そういうのは実際にあるのだ。

暸司が高校時代まで居場所が無かったこと、初めて居場所、いてもいい場所ができたこと、しかし時間が経ち人々は去っていってしまったこと、正しいと思っている研究の穴をつかれ必死で取り憑かれたように研究をしたこと、結局他の国の人に先を越されてしまったこと。

しかしアル中になるというのはやや安易という気がした。

この小説の良いところの一つが、非常にドライなところだと言えるだろう。アル中になった暸司の苦しさも、描かれてはいるが、読者がつよく共感して深く傷つくというほどではない。熊沢や佐奈、先生たちの罪悪感も描かれて入るが、読者が強く共感して以下略。
御涙頂戴では無いのだ。しかし気づいたらとても泣いている、とても。

タイトルは読めば分かる。

わたしには暸司の寂しさが分かるなあと思った。ひとりぼっちだったこと、青ざめたこと、ひとりぼっちに戻っていくこと。
でも他に居場所があれば、きっと大丈夫だったのにね。わたしは暸司のために泣くんだよ。

 

おわり。

 

 

【読書感想】星が人を愛すことなかれ / 斜線堂有紀

「ミニカーを捨てよ、春を呪え」「星が人を愛すことなかれ」「枯れ木の花は燃えるか」「星の一生」の4作からなる短編集。

レーベルがジャンプジェイブックスなのもあって、全体として、平易でキャッチーな文章。「回樹」や「本の背骨が最後に残る」をイメージして読むと全然違う文体に驚くかもしれないが、こうしてチューニングできるところが実力と言えるのではないかと思う。

本書の「ミニカーを捨てよ」と「星の一生」は、既刊の「愛じゃないならこれは何 / 斜線堂有紀」という短編集の中の「ミニカーだって一生推してろ」の続編というか、相互補完編。どちらも読んだ方がよりよく分かって楽しい。

「ミニカーだって一生推してろ(愛じゃ無いならこれは何)」「ミニカーを捨てよ、春を呪え」「星の一生」は、アイドルグループ東京グレーテルの赤羽瑠璃、その熱烈なファンのめるすけ(名城渓介)、その恋人の牧野冬美の三人をめぐる恋愛模様が描かれている。「ミニカーだって一生推してろ」は瑠璃、「ミニカーを捨てよ、春を呪え」は冬美、「星の一生」は瑠璃の視点から描かれており、めるすけだけがすべてを手にしているというアンバランスさ、瑠璃と冬美それぞれがそれぞれに対して抱く優越感と劣等感が描かれている。
しかし瑠璃が勇気を出して一歩踏み出していたら、物語はどうなったのだろうか。でもそうなったとしても、きっと同じようにめるすけだけが幸せになるんだろう。そんな気がする。いやめるすけも、冬美からのあたりのキツさとかしんどいことはあると思うんだけど、結局全てを手にしたのはめるすけだけだから。

「星が人を愛すことなかれ」は、人気Vチューバー羊星めいめいこと元東京グレーテルというアイドルグループにいた長谷川雪裡の仕事と恋愛をめぐる物語。アイドル時代には成し得なかったことを、Vチューバーとして果たしていく、それを超えていく中で、手に入れたものと失ったもの、失い続けていくものが描かれている。なんかアイドルとかのストイックさを感じて、実際どうなんだろうと考えたりした。この作品でも赤羽瑠璃は出てくるが、やはりストイックなアイドルとして出てくる。しかし。

「枯れ木の花は燃えるか」は、地下アイドル帝都ヘンゼルの民生ルイと同じく地下アイドル東京グレーテルの香椎希美とその他ルイの「繋がり」たちをめぐる物語。好きな人とその浮気相手(お互いにお互いをそう思い合っている)がいて、どうしても好きで執着してしまうが故に行動してしまって、結局全てが破談になるなかうまく折り合いをつけてやっていく人もいたりして。

と、いうことで、キャッチーで軽い文体で結構考えることが多いテーマへの答えを追求しているというか一つの答えを丁寧に描写している作品たち。サクッと読めるが、純文学やミステリやホラーを求める斜線堂好きにはちょっと違うイメージを持つかもしれない。わたしはこの斜線堂も好きですよ。

表題作「星が人を愛すことなかれ」は、「ミニカーを捨てよ、春を呪え」にも「星の一生」にもかかっているし、また、「枯れ木の花は燃えるか」にもかかっている。すべての作品を読むとすべての作品の意味が変わる。そんな短編集だ。

 

 

KENZOを着たおばあさんになりたい - 高田賢三 夢をかける オペラシティ-

常々思ってきた。年寄りくさくはなりたくない。常々というか、最近特にそう思うのかもしれない。というのは、年寄りである自分がそう遠くなくなった気がするからだろう。40歳。あと20年後には60歳である。前期高齢者の仲間入りだ。20歳からの20年を思うと、この先の20年はそれほど先の話でもあるまい。

そういうことで昔よりリアルになった自分の年寄り像。どんな風になっているだろうと想像する。地味な色ばかり着て、地味に目立たないように生きていく。そんな風になっていたくない!わたしはKENZOの服を着たおばあさんになりたい。

ということで、オペラシティに高田賢三展を見に行った。TAKADA KENZO

高田賢三がどのような人物なのかは知らないが、服はとにかく素敵だ。

とってもレトロでとってもかわいい。いやこの服を作ったときはレトロじゃなく時代の最先端だったのだと思うのだけれど、今でもレトロとして着れる飽きのこないデザインで素敵だ。

こうしたデザインの服をわたしは子どもの頃から好きで、大学生や大学院生のときにはフリーマーケットなどで購入してよく着ていた。なのに社会人になって結婚してから、こういうオシャレなワンピースなど着ることもなくなり、今に至っており大変によろしくないなと、展示を見ながらぐしぐし思っていた。

こうしたUKトラッドの服も大好きで、このコートと似ているコートを今でも着ているし、結婚してからもこういう服装はよくしていた。なんとなく髪の毛を伸ばすことがなくなったので、ボーイッシュに着こなせるのがよいのだ。

本当にかわいい。あー若返って着たい。

こういうワンピースも現役時代は着ておった。当時はあまり何も考えずに好きなものを本当に好きなようにきていたよなあと、なんかオシャレ欲の衰えについて考えてしまう。なぜ結婚するとオシャレしなくなるのか。おでかけはするけど、デートはしないからかな。

これは理解に苦しむ(宝塚の衣装)。

こうこう、こういう服を着たおばあさんになりたいと切実に思う。地味な服で目立たず生きていくのもひとつの選択肢だけれど、好きな服を着て街を堂々と闊歩して歩いていきたい。

こんなおばあさんもう本当に最高じゃん。素敵すぎる。

こういう少し落ち着い……てないや柄柄だわ、ともあれこういう服もいい。丈が長いのでおとなしくいきたいときにいいかもしれない。いや柄はおとなしくないんだが。

というわけで、こういう服が似合うおばあさんになるにはどうしたらいいんだろう。別に多少太っていてもいい気はするんだが、髪の毛とメイクはしっかりとした方がいい気がする。あと靴。それから姿勢だ姿勢。姿勢がものすごく大事だと思う。歳をとると自然と腰も曲がってきてしまうものだけれど、それを最小限に防ぎ、こんなワンピースを素敵に不敵に着こなしたい、そんなことを思うのだ。

ただまあ現実問題としてKENZOを普段着でいやオシャレ着だとしても着れる財力はございませんので、あくまで似たような服を探して着る、という感じにはなろうかと思う。シャツに5万も6万も払えないわよ涙

それにしても、さまざまな年代のお洋服をこれでもかと見せつけてくれて、大変よい展示だった。今までKENZOを意識したことはなかったが、これからの数年十数年をかけて二十年後にこんな服装をしていることを夢見て、ペンを置くのである(始めから持っていない)。

www.operacity.jp

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【読書感想】地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団 / 森功

先日Netflixで話題の「地面師」というドラマを見た。流行に乗ったのである。大変面白かった(語彙力)。

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主人公辻本拓海(綾野剛)が地面師になった理由は割と序盤で分かったのだけれども、そうだから苦しかったし、「そうじゃないだろ」とも思った。それに、とにかくもうひとりの主人公ハリソン山中(豊川悦司)の演技が怖すぎてやばかった(語彙力)。あんなサイコパスをあんなふうに演じれるなんて、本当にいい役者だなあと……ってそんな上から見れませんよ怖すぎて目を逸らしちゃいましたよ、沖縄の一連。ひゃー。

まあそういうわけで、ドラマを見たのをきっかけにして、森功の書いたノンフィクション「地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団」を読んだ。

 

本書では大きく6つの事件を7章立てで取り上げている。
地面師とは何か、地面師はどのように詐欺を働くのか、地面師が逮捕されても釈放されてしまうのはなぜなのか、どうして大企業が騙されてしまうのか。「地面師たち」の事件の元となった、積水ハウスの事件も最初にとりあげられている。

2016年ごろには地面師詐欺がかなり横行し、100件を超える被害があったそうだ。

この地面師詐欺は、逮捕されたとしてもあくまで「詐欺罪」なので、数年の懲役をくらうだけで、釈放されたらロンダリングされたマネーが数億とか待っているわけなので、全然ペイする。だから無くならない。

ドラマでは石洋ハウスが、土地の買収に頓挫し、すぐに代替の土地を探さなければならないということからあーだこーだあって詐欺に引っかかってしまう。実際の事件でも、本を読んでいる限り「いや気づけよ」とか「いやもうちょっと調べようよ」とか思ってしまうものだったのだが、引っかかってしまうのよねえ。

中では、免許の偽造の精度が悪いもの、表記のおかしいパスポート、言い間違えた干支、などなどもあるのだが、それをただの勘違いとして済ませてしまうということだ。正常性バイアスも働いているのかもしれない。

そしてドラマでも言われていたが、関係者を逮捕しても、不起訴となることが多い。証拠不十分などで釈放されてしまうのだ。決して他人のことも口外しない。そのことが次の信用に繋がる。

などなど、超興味深いことがたくさん書いてある本だった。ドラマで「地面師」に興味を持った人は一読してみると、「ああなるほどー」と理解が深まるし、見ていない人はこれを読んでから「地面師たち」を観ると、本書の内容を思い出して展開から目が離せずドキドキすることだろう。

ま、あんなにバンバン処さないようだけど。というか処すと懲役がかさむし、2人以上処すと死刑も見えるので。ハリソンはやばい。