遠心分離機

文体の練習

【2024.01.11】10分で書いた小説

 

アンモナイト

 

冬らしく寒い一日だった。きっと焼き芋がうまい。今日は何もしていない。何もしていないから書くことが無い。

小説を書こう。

 

無題

 

 ある日パン屋で買い物をしていると外が海になっていた。仕方ないから今買ったばかりのパンの袋をムギュギュっと締めてから意を決して外に出る。水圧でドアは開かないはずだが簡単に開く。まるで海の水に意思があって、ぼくを招き入れたいみたいだ。海は深くてとても足が立たないから泳ぐしかない。
 けれど実はぼくは15メートルくらいしか泳げないし、仰向けになって浮くことも苦手だ。じゃあ一体どうするんだという話なのだけれど、繰り返すが泳ぐしかない。それしか選択肢がないことについて深く考えても仕方ない。水が引くまで(満ちたんだから引くこともあるだろう)パン屋で待つべきだった気もしているが、買い物が終わってしまったのに店に居座るわけにはいかない。客は買い物が済んだら店から出ていくものだ。
 ぼくはパンをあっさり捨てる。今日のぼくの唯一の食事の予定だったが仕方ない。死ぬよりは空腹の方がまだマシだろう。泳ぐぞ。泳ぐぞ。泳ぐぞ。泳ぐ。
 昔クロールを教えてくれた先生の言葉を思い出し、習った通りに右で左で水を掻き出す。前に進むが、しかしそもそもどこを目指せばいいのか分からないことに気付く。360度海だ。パン屋もいつのまにか見えなくなった。沈んだのかもしれない。
 右、左、右、左、息、右、左、右、左、息。
 ぼくは思う。子どもの頃ずっと大好きだった人のこと、学生の頃叶えたかった夢のこと、恩返しをする前に死んでしまった両親のこと、きみのこと。死にたいと思ってずっと生きてきた。死にたいんだ。そうだぼくは死にたいんだった。
 ぼくは泳ぐのをやめる。下手なりに仰向けになり、息を一杯に吸い込んで胸をあげて浮く。泣いている気もするが、海も涙も同じ色をして同じ形をして同じ味をしているので区別がつかない。空に向かって手を伸ばすと、キラキラと太陽が指先を光らす。命みたいで綺麗だとぼくは思う。それでもぼくはまだ死にたいのだ。
 海がぼくの前に現れたタイミングはおそらく完璧だったので、海の思惑通りぼくは今ここで死ぬのだろう。逆らう方法もないし逆らう気もない。

 ただ最後にきみに言いたかった。
 ぼくの心の中にある光がいつでもきみの命を温める。ぼくの心の中に確かにあった光が、いつでもきみの命を輝かせる。だから大丈夫なんだよ。
 大丈夫なんだよ。