太宰の凄みがここにある。森見登美彦編「奇想と微笑〜太宰治傑作選〜」

太宰の原体験

読書好きの誰もが驚く瞬間がある。「人間失格」を読んだときだ。この作品を読んだとき、誰もが思う。「これは自分のことが書いてある小説だ」と。わたしとて例外では無い。高校生の頃に初めてこの作品に触れた。思春期の有り余る自意識を爆発させ、自分が誰かに気づいてもらえた気がして、でもその先には望むような幸せな未来も無いのだと確信して、複雑な心境を抱えて数日を過ごすこととなった。

そうしてある固定観念が生まれる。「太宰を読むと死にたくなる」

明るい太宰

しかし世の中には「明るい太宰」というジャンルがある(ない)。
個人的には「パンドラの筺」や「正義と微笑」が一般に知られている「明るい太宰」ではないかと思う。この二つの小説はどちらも高校生、大学生の若い男の子が主人公だ。全体的にのんびり、あっけらかんとしていて、読んでいるこちらもカラリとした気分になる。未読の方は必読です。

太宰が気になったらこれ「奇想と微笑」

そんなこんなで太宰が気になったら、「奇想と微笑 〜太宰治傑作選〜」を読んでみることをお勧めする。これは、小説家の森見登美彦が編集した太宰治の短編・エッセイ・雑文集だ。森見登美彦が「オモチロイ」作品を集めたと言っているように、実際少し変わっていて面白い。

全体を通じてポジティヴな人間観なので、疲れていても読んでいて抵抗が起こらない。それでいてただあっけらかんと明るいだけではない。凄まじい文章力で、人間というものを多面的に捉え、的確な言葉で表現していく。思わず笑いがこぼれるほどの凄み。小説好きの多くの人が好きな作家に「太宰」と挙げる理由がよく分かる。ごめんなさい、ここまでと思わなかった、というのがわたしの率直な感想。

内容を少しだけ

主題の提示

一作品目は「失敗園」。

これは、ある家庭の6坪ほどの庭で育てられている野菜や植物がそれぞれに愚痴を吐いたり高飛車に話したりする。たとえばにんじんが「のびねえ」と悩んでいたり、へちまが「棚にうまくまきつけない」と愚痴を言っていたり、バラが「わたしは女王よ」と息巻いていたりする。そのどの植物もが確かな個性を持った温かい存在として描かれており、いいんですよ、ほんと(語彙力)。

で、これはこの作品集の主題の提示だと思っていて。
もちろん、ここに集められた作品たちは「失敗」などではない。しかし、さまざまなスタイルで、さまざまな状況で書かれた作品たちは、自由勝手にのびていき、あるいはのびることができない部分もあったり、人間味に溢れている。これが、この6坪の庭の情景で表現されているようで、この作品を一話目に選んだ編者の采配はナイス。

少し面白いと思ったこと「芸術」について

いくつかの短編集や雑文などの中で「芸術」という単語が出てくる。太宰にとっては、小説家は「芸術家」だという認識のようだ。これは今の純文学への系譜と考えれば自然なことではある。まあ、純文学ってなんだ論争はひとまず置いておくとして。でも太宰は別に「芸術家」を「上等なもの」とは認識していなかったのだが。
で、「芸術」について書いてあることはきっと本心なのだろうと思うので、少し引用してみたい。

芸術家は、もともと弱い者の味方だった筈なんだ。」私は、途中で考えて来たことをそのまま言ってみた。「弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れてるんだ。

(畜犬談)

思わず、一言、わたしは批評めいた感懐を述べたくなるが、しかし、読者の鑑賞を、ただ一面に固定させる事を私は極度におそれる。何も言うまい。ゆっくり何度もくりかえし読んで下さい。いい芸術とは、こんなものなのだから。

(「井伏鱒二選集」後書)

芸術家全般がもとより下等なものであるから、この男も何やら著述をしているらしいその罰で、加藤の仲間に無理矢理、参加させられてしまったと言うわけなのです。

(女の決闘)

芸術家には、殆ど例外なく、二つの哀れな悪徳が具わって在るものだからであります。その一つは、好色の念であります。

(中略)

芸術家というものは、例外なしに生まれつきの好色人であるのでありますから、その渇望も極度なものがあるのではないかと、笑い事ではなしに考えられるのであります。

(中略)

もう一つ、この男の、芸術家の通弊として避けられぬ弱点、すなわち好奇心、言葉を換えて言えば、誰も知らぬものを知ろうという虚栄、その珍しいものを見事に表現してやろうという功名心、そんなものが、この男を、ふらふら此の決闘の現場まで引きずり込んできたものと思われます。

(女の決闘)

太宰の定義する「芸術家」というのが、当時の小説家の中での共通見解なのか、太宰一人の発見なのかは分からないけれども、「芸術家は弱い者の味方」という一節がわたしにとっては印象的で、その使命感は割と太宰の作品に共通して見られるものなのかなあと。

全話感想(読みながらの走り書き)

 

1.失敗園
CAの休憩室かい(偏見)。この作品集の主題の提示。自己肯定感が高い者や、投げやいになっていじけている者もいて、人間味があってよい。一本目に選んだのナイス。

2.カチカチ山
人の心とはこんなにおぞましいものなのか(人ではない)。たぬきのダメ人間ぶりとしたたかさが;あをrjq@wprkqw(読めなかった)

3.貨幣
貨幣が主人公のお話。とてもよい。医学生のくだりがしみじみと。

4.令嬢アユ
佐野くんの話。人間らしい結論。けどアユがひたすらいきいきと描かれていてとても良い。

5.服装に就いて
なんだかそら恐ろしかった。

6.酒の追憶
身に覚えがある!千歳会館の外で酩酊して段ボールに包まれていたのはわたしだ!と、それはさておき、丸山くんの男気がすごい。岡島さんもいいキャラしてる。冷酒の追憶がとくによかった。

7.佐渡
旅情がありありと思い起こされ、心情の変化も苦しいほど伝わってくる。

8.ロマネスク
なるほど、というラスト。壮大。

9.満願
ロマネスクを書き終わった後の随筆。心が晴れやかになる一作。太宰もきっと同じ顔をしていたのかもしれない。

10.畜犬談
初めの方でラストは想像できるけど、最後のセリフがとてもよいかった。

11.親友交歓
昔って通信手段がないからこんなことが起こるんだろうな。太宰がというか、昔の人って潔いよなー。今なら晒されるよなとか思ったけど、別にこれも文章で全世界に晒されてるか😃

12.黄村先生言行録
しょっぱすぎる。楽しい。

13.「井伏鱒二選集」後書
「おれは、勉強しだいでは、谷崎潤一郎には成れるけれども、井伏鱒二には成れない。」

14.猿面患者
最初はあまり面白くなかったが、精読すると面白くなった。後半、とくに最後の一文が秀逸。ストンと落ちる。すごくよい。

15.女の決闘
「純粋とは白痴のことなの?無垢とは泣き虫のことなの?」というセリフは抉ってくるなあ。

16.貧の意地
これよかった。カッコいい!男気しかない。

17.破産
痛烈な風刺。恐ろしい。

18.狩人
あんまりよくわからないし、なんか深めたいとも思えなかったが、きっと面白い筈なので再読必須。

19.走れメロス
まっすぐでよいねえ。この長さでこの密度の文章すごい。