【駄文散文 #3】 40歳行き詰まり説

再三再四述べているが、わたしは無職だ。無職歴は5年だか6年だかでもう年季が入っている。無職になった契機は病弱になってしまったことだけれども、これだけ長い間社会と関わらずに生きたことがないので、無駄に焦りがでてきてしまう。

引きこもりでも別にいい気もする。するんだが、しかし、たとえば高齢者に目を向けてみよう。定年退職した男女がうっかりすると早期に認知症を発症してしまったりする。やることがない、考えることがない状態の中にあって、人の脳は簡単に弱る。
夫の両親など、サークル活動に勤しむアクティヴシニアなのだが、毎日が充実していて楽しそうで溌剌としていて、70を超えているとは思えぬ活躍ぶりである。素晴らしい。こういう老後を過ごさなければならに。

話を戻す。40をむかえ若年層というステータスを失ってから5年以上が経つ。中年にさしかか……ではない認める、しっかりと中年なのだ。中年ということは若者よりあらゆる健康リスクが上がる。脳の衰えも始まっているだろう。このまま引きこもっていると、引きこもり老人のように早期にあやふやな人間になってしまうだろう。ご機嫌になればよいが、性格が悪いのでいじわるおばさんになるかもしれない。それは避けたい。

ということで、引きこもりを脱したい。バイトをしようかとも思ったが、思った矢先体の調子が最悪になって家事すらギリギリになったりして、なかなか現実的ではないなと思った。さらに言えば夫に言わせれば「仕事はただのストレス」らしいので、ストレスは小さい人生のほうがいい。そうだ。仕事ではない。

ということで、カルチャーセンターかなんかで習い事をするのはどうかと考える。あるいは短歌が趣味なので歌会に参加するか、読書も趣味なので読書会に参加するか、などなど考えるが、なかなか踏み切れない。とにかく病弱なので、予定通りの活動をすることができる確証がなく、場合によってただのドタキャンやろうになってしまうのがネックなのだ。

どうしたらいいんだろう。
わからない。
どうしたらいいですか(相談)。

そもそも年齢が中途半端なのだ。カルチャースクールや区のサークルなんかはもっと年上の方が多いし、たとえば短歌の歌会でも読書会でも、なんかは若い子達がやってるものに参加するわけにもいかないし、参加した瞬間から老害みたいな。40歳。どうしよう。40歳はもうダメ。40歳限界説。40歳40歳40歳ぃぃぃぃぃ(咽び泣いている)。

しかしこれは嫌いな言葉だが、誰もにとって今日が一番若い日なのである。明日からまた1日1日と歳をとっていく。あと半年もすれば41歳だ。あらゆるハードルはさらに上がっていく。
これはなんとかしなければならない。どうしよう。

わたしと同年代の人はじゃあどうしているのか。仕事に精を出しているのだ。子育てに汗を流しているのだ。そのどちらもないわたし、しかも病弱。ソリューションが分からない。AmazonでもGoogleでも解決できない。oh god......

とりあえずAmazonで血圧計買った……意味は無い。

困ったまま筆を置く。さようなら。