【歌集感想】たやすみなさい / 岡野大嗣

大好きな岡野大嗣の第二歌集。

たやすみ、は自分のためのおやすみで「たやすく眠れますように」の意

ということらしい。

この人の持つ孤独感の輪郭みたいなものがすごく好きだ。どうしてこんなに寂しいのだろう。寂しさを主題にしているわけでもなさそうな歌でも、どこか寂しくて、話してみたくなる人だ。

いいなと思った歌をつらつら並べていく。

アーケードの裂け目にできた陽だまりに探せば探すだけ猫がいる

屋上にあった小さな観覧車を記憶をたよりにしてうれしがる

フイルムをたまに買ってた写真屋の跡地のモデルルームの跡地

なんとなくノスタルジックで、誰もがその景色を知っている。情景を詠んでいるだけに見えて、やはり寂しげな雰囲気がある。

写メでしか見てないけれどきみの犬はきみを残して死なないでほしい

自分がきみの寂しさを埋めるとかじゃないのだ。犬にきみの寂しさのすべてを託す。この距離感がもどかしくて現代的で脆くて、好ましい。この主人公はいままさにきみの前を去ろうとしているのかもしれないとも思える。そうだとすると少し冷たい。冷徹になりきれないところに、感情的な冷たさがある。

次にやる曲のさわりを鳴らすようにつつじが咲きかけの並木道

もうだれも春だと思わない夜を夏とも思わずに歩く夜

こういう季節感の表し方もよい。季節の変わり目のもどかしさと宙ぶらりんな感じがよく現れているように思える。つづじが咲きかけなのには、これからの見事なつつじを予見させワクワク感もあるし、春でも夏でもない夜はやはり夏の夜への少しある。

数えるほどのはしゃいだ夜のことも忘れる昼間の月を見失うように

「数えきれない」ではなく「数えるほど」なのことに着目したい。数えるほどしかはしゃいだことがないのか。そしてそのことすらも忘れてしまう。寂しさの上塗りだ。

そして最後。

二回目で気づく仕草のある映画みたいに一回目を生きたいよ

生きたいのだよ。二回目で気づく仕草であるから、一回しか生きれない人生ではその仕草にきっと気づかない。だけどそんな風に、そういう深みのある?というか層のある人生を生きたい。生きたいんだ。と安心する一首。そうして読者も自分の生きたいという気持ちに改めて気づき、向き合うのかもしれないと思った。