沼田愛を全開にして読む「令和元年の人生ゲーム」(麻布競馬場)

「第1話 平成28年」「第2話 平成31年」「第3話 令和4年」「第4話 令和5年」の四話からなる物語。各話で主人公が異なり、一人の人物だけが一貫して登場する。ので実際はこの人物が主人公ということになるだろう。

第1話は地方から慶應大学に入学した意識の高い一人の新入生である主人公が、サークル代表の熱い思いに憧れを抱き、意識の高い人の集まるビジネスコンクールの運営サークル「イグナイト」に入会するところから物語が始まる。

第2話は早稲田大学を卒業した主人公が、大手町人材系大手企業「パーソンズ」に入社するところから物語が始まる。

第3話はとある鉄道会社に勤める主人公が、会社が未利用地を活用した「なんかクリエーティブでイノベーティブな事業」として始めた大学生向け大型シェアハウス「クロスポイント」のチューターとして入居するところから物語が始まる。

第4話は一年前に明治大学を卒業しPR会社に勤めている主人公が、老舗銭湯「杉乃湯の未来を考える会」にジョインするところから物語が始まる。

各話で主人公が物語を通じて自分や周りについて自覚的になり行動したり呆然としたり、しかし歩き出していく、という流れ。その時代時代の空気感が表れていて、「意識が高い」系の人たちや環境の解像度が高くて読んでいて「あー」となる。その時点で流行っていた考え方などがきちんと描かれている。
細かい話だが「平成28年」では新入生がアホみたいに酒を飲んでいるのに対し、「令和4年」ではソフトドリンクを飲んでいる。そういう細かいところも、各話の状況にフィットするように描かれている。

1話1話もきちんとそれ自体で完結し、「令和の時代に生きるとはどういうことなのか」ということが丁寧に描かれている。
その上で、全話に登場する男。彼が学生時代に大きな絶望と失望を経験し、どれほどその原因に執着し、どうやって社会人になりどのように世の中で生きていき、最終的に辿り着いた場所がどこなのか。そこで彼は何を思い、何をするのか。この男が一人称で語る話が無いので、「何を考えているのか」は読者の読解力と元々の志向や好みに委ねられる。彼がどんな人生ゲームを戦い、傷ついてきたのか。

帰結も含め、哀しい物語だと思った。

 

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物語の本当の主人公は言わずもがな沼田だ。この小説は、沼田を、いろんな視点から三人称で語った小説なのだ。沼田がどのように失望し絶望し、その原因であるヨシハラに執着し、奮闘し、再生していくか。そしてそれは本当に再生なのか。それが丁寧に描かれている。

各話の主人公が結構独自に沼田を考察しているから、読者が読み解く必要は実はあまりない。第一話からそれぞれの主人公から見た沼田についての記述を見てみる。

なお、この記事では、各話の主人公の人間的成長やそれでも生きていく姿勢は置いておいて(置くんかい)、沼田だけにフォーカスして考えていきたい。

第一話 大学編

それでも彼は、今日もこうして飲み会に顔を出している。そして気付けば毎回、吉原さんの近くの席に、黙って座っている。まるで、吉原さんの話を聞き漏らすまいと、必死彼にしがみついているようにー

主人公から見て沼田はこのように見えている。普段ニヤニヤと吉原を見下したような目で眺めているのに、飲み会ではこうなのだ。
さらに、教育系の事業で起業すると吉原が発表したあと、沼田が図書室でそれに関連する書籍を手に携えているのを主人公は目撃している。

その脇を通り過ぎた沼田さんの顔にはいつもの余裕に満ちたニヤニヤはなく、抱えている何冊かの本の背表紙には「エデュテック」だとか「社会課題解決型ビジネス」だとか言う文字が異性よく踊っているーあの君の悪い仮説について、僕はそのとき確証を得てしまった。

「あの君の悪い仮説」とは次のようなものだ。

彼の自尊心があのとき完全に破壊されたのであれば、確かにそれを治癒する方法は、吉原さんに必要とされることなのだろう。みんなの前で、まるで跪いて指輪でも渡されるようにして企業に誘われることを期待しているーその仮説が正しいとすれば、沼田さんが吉原さんに向ける感情は、気味が悪いほど複雑に捻れている。

これはきっとその通りなのかもしれない。あるいは単に他のメンバーと同様に吉原のファンなのかもしれないとも読んでいて思った。いずれにせよ、吉原への異常な執着、どこか歪んだ「愛」(「愛」という言葉は第二話の主人公に対して沼田が使う語だが、そのまま自分の吉原への気持ちのことだろう、本人が気付いているかは謎だが)。

なお、肝心の沼田は次のように吉原について述べる。

あんな不真面目なやつ、いないと思うけど

詳しい事業の中身は聞いてないけど、どうせクソなんだろうし

仕方ないだろ、あいつには異常なほどに企業のセンスがない。

こうした酷評をする一方で、吉原の起業に関わる書籍を読み漁る、アンビバレントな気持ち。主人公も気付いているように、理由はどうあれとにかくねじくれてるのだ。

なお、吉原が「不真面目」であるという評価については、主人公も気づく。吉原は、人のアドバイスを柔軟に聞いているのではなく、人(宇治田)の言う通りに行動して、すべての責任を他人の言葉に押し付けているのだと。自分の言葉、自分の責任で生きていないと。吉原が「イグナイトに入るのを決めた」こと、「イグナイトで仲間を作って一生懸命頑張った」こと、「イグナイトのみんなを失望させ、自分の元を去って行かれてまで御法度とされるような事業に参入することに決めた」こと、これらすべてが、宇治田という男のアドバイスだったことについてそう考える。
沼田は初めからそのことを分かっていたのだ。だからこそねじくれた愛がさらにねじくれてしまう。

このように、第一話では沼田に起こった出来事と、それに伴って生まれた吉原へのねじくれた愛や完膚なきまでにバラバラにされてしまった自尊心について、またそれでも変わらぬ勉強熱心さと洞察力の深さも記載されている。そしてしつこいが、吉原への執拗な執着。このことは今後の沼田の行動指針や心情の変化に大きな影響を与えていくことになる。

第一話はこんなところだ。第二話に進もう。

第二話 パーソンズ

沼田は、あの宇治田(吉原の行動の全てのアドバイス源)の会社に入社した。心底執拗な行動だ。そんな沼田がどんな心算で働いているからは次のとおりだ。

僕は給料さえ貰えていれば、何をするかとかも正直どうでもいいんですよね。圧倒的成長にも、自己実現にも興味ないですし。だから、この大きな会社で終身雇用に守られながら、外尾頑張ってる社員たちが稼いできた利益を毎月ちゅーちゅー吸いながら、総務部かなんかでクビにならない最低限の仕事をして、毎日定時で上がって皇居ランでもやりたいって、面接でそう言って受かったんですよ。

ぬるま湯に浸かる宣言である。しかしその一方で、研修中に沼田は、ある同期の事業プランをすべて完膚なきまでに論破して泣かすという事件を起こす。このとき沼田はこのように謝罪する。

新規事業とか、起業とか、それもエデュテックとか言われちゃうと、黙ってられないタチなんでねぇ。本当に申し訳ないです。

しつこい笑。

さて沼田は、総務部に配属後、普段の仕事が認められエレベーターの混雑緩和の仕事をまかされるようになる。このことに、同期は非常に冷笑的であったが、エレベーターの混雑緩和については社長直々にリーダーに命じられたことは、沼田が地味に頭角を表していることの証左でもあった。

主人公は沼田についてこんなことを思う。

最近の沼田の堂々たる表情を見る限り、彼は自分の仕事にひどく満足しているようだ

首にならない程度に仕事をすると言っていた沼田が、総務部で一目置かれるような仕事をしている。一見矛盾しているほど、沼田は活き活きしていたのだ。それは吉原を導いた宇治田から評価をされたことによってねじくれた自尊心が満たされたのかもしれないし、あるいは単に元からの勉強熱心さと他者への献身さのためかもしれない。

そうして沼田は「エレベーターの魔術師」と揶揄されながら、エレベーター問題(通勤時間帯の混雑)をサクッと解決する。その功績を買われ、社長から経営企画室への異動を画策され、断ったということだった。
そうした沼田の仕事ぶりを見て、主人公は沼田に、一体何がしたいのかと問う。

新人賞だって、心底どうでもいいんです。辞退できるものならそうしたいですよ! 他人からの評価に右往左往させられるなんて、この世で一番馬鹿らしいことですから。

これに対し主人公は、「沼田なら新人賞も取れるし経営企画室に行ってもうまくやっていける」と発破をかける。しかし沼田はこれに対してこんなことを言うのだ。

期待を持たせるようなことを、軽々しく言わないでくださいよ。そうやって自分や他人に期待しちゃって、最後の最後で裏切られたりしたら、死にたくなるほどみっともないでしょう? そうなるくらいなら、僕はやっぱり何もしないほうがマシだと思います。

沼田は人から評価される、期待されるのを恐れている。それは学生時代の代表選での大きな挫折(ある意味では大きな裏切り)が関係しているのは明らかだ。「適当に」と言いながら仕事で成果を出す一方で、それが大きく評価されることが怖いのだ。なぜなら、その評価を拠り所にしていたら、そこが崩れた時に絶望と失望に打ちひしがれるだけだから。

そして沼田はこんなことを言う。

ただまぁ、胸がすくような思いですよ。些細なものではありますが、ちょっとした因縁のある宇治田社長からの誘いを断ってやるのは。

しつこい笑。沼田はこのことで、心の中で吉原に一矢報いたのだろう。

第二話ではこれ以上に沼田についての深い考察は無い(それをするには主人公に材料が無い)のだが、こうして見てみると、沼田が、他人からの評価に振り回されたくないから仕事に力を尽くしたくないと言ったり思ったりしている一方で、実際には課題を与えられれば応えるし、相変わらずの勉強熱心さがあることが描かれている。

第三話に移ろう。

第三話 クロスポイント編

サラリーマンは適当にサボりつつ働いていれば毎月決まった額のお金を貰えるんですから、最高じゃないですか?それにこうやって立地のいい新築シェアハウスに無料で住めるのだって、サラリーマンをやっているからなんですよ。僕はサラリーマンという身分に、心の底から感謝していますぅ

意識高い学生の一人が、「なぜサラリーマンなんかやっているのか」と問うと、沼田は相変わらずこんなことを言う。相変わらずの沼田節だ。

あるときクロスポに地域猫の一匹がやってくる。学生たちはクロスポで面倒をみてやることにした。そのとき名前を決める段で、沼田の案である「ヨシハラ」という名前が投票で選ばれる。

猫ヨシハラは沼田にだけ懐き、沼田はヨシハラの世話を甲斐甲斐しく焼く。
ストーリー的にはいろいろぶっ飛んだことが起こる(「ヨシハラ義塾」出身学生たちが暴走する)。

あるとき女性付き合いについて聞かれた沼田はこんなふうに答える。

ある時点での自分の判断で、未来永劫自分を縛り付けるだなんて、あまりに馬鹿げていませんかぁ? 猫だけじゃなく、人間も身勝手ですよ。僕は少なくとも、他人に期待しないことにしていますから

やはりあの代表選の敗退、吉原が身勝手な起業を発表したことも沼田を誘ってくれなかったことも、沼田の人生に大きな影を落としている。いや影ではないかもしれないけれど、行動指針に大きな影響を与えている。

沼田は、「何かをなさねば」と焦り迷走する学生脇坂にこんなことを話す。

脇坂くん、人間は価値を生むための装置でもないし、競争で勝つための機械でもないんですよ。さっきも聞いてて思いましたが、君は他人の目を気にしすぎてるんじゃないですか? 僕みたいに、くだらない人生ゲームから降りてしまって、コースの外でのんびり猫でも撫でるほうが幸せですよ。

沼田の人生観はこの時点ではこうなのだ。半ば悟りを開いているようにすら見える。また別の時には、なすべき何かが見つかるまで、ヨシハラでも撫でて待っていればいいんだと伝える。

さてそのヨシハラについて、沼田はこう話す。

猫は移り気ですよ。ヨシハラもきっと、他にいい場所があればすぐそっちに移ってしまう。僕にはその身勝手な身軽さが、羨ましくすらありますけどね

沼田は、誰かと大切にしあうことを恐れているのだろう。いついなくなっても傷つかないような気持ちを心がけているのだろう。

主人公は、沼田についてこんなことを考える。

ひとりぼっちになっても動こうとせず、永遠の被害者のままでいる沼田くんは、実のところ何を待っているのだろう? ひとりぼっちの寂しい人生が一刻も早く終わることだろうか? それとも、そんな自分のところに、いつか自分のもとから走り去っていった人が戻ってきてくれることだろうか?

「被害者」とは「去って行かれる側」を沼田がそう言ったことによる。そして、沼田が人や世界に振り回されて心をかき乱されることを病的に恐れる一方で、人とのつながりを欲しているというアンビバレントな部分を見出す。

では、最終話である第四話を見ていこう。

第四話 杉乃湯編

沼田は令和四年と令和五年の間のどこかで(おそらくパワハラで)「簡単に潰れ」てパーソンズを退職する。そして高円寺の風呂なしアパートに転居したことをきっかけに、杉乃湯とその五代目である寛人と出会ってサポートするようになった。

主人公は「杉乃湯の未来を考える会」にジョインし、ミーティングや寛人の行動を見ていて、寛人が自分の意見ではなく周りの意見をほいほい取り入れているだけだと気付く。そして、それを高い能力で沼田が実現していっているだけだということも。インタビューの回答すらも、沼田が作った回答がなければロクに応えられない寛人。周りの人間のアイディアをすべて受け入れて、迷走しているといわれる寛人。

同期の真部はが沼田をベタ褒めしたとき、沼田はこんなふうに答える。

手を動かしてるのは僕ですが、ああしたい、こうしたいを正しく決めてくれる寛人さんがいるからこそ、僕は変化を生み出せているんです。僕はむしろ、寛人さんに感謝してますよ。寛人さんのおかげで、僕はなりたい自分になれたんですから

沼田のなりたい自分とはなんだろう。
でもこの寛人がかつての吉原がそうであったように、人の意見でしか動けない人間だということはすでに描写されている。それについても沼田は、不真面目なんじゃなくて優しいんだと、こんなふうに話す。

違うんです。この人はまっすぐに愛されて、幸いにもこれまで潰れることを免れてきた、優しい人なんです。何が正解とか、誰を優先して誰を切り捨てるとか、そういうことが、どうしてもできない人なんです。だから彼が言うことはいつだって優しくて、でも実現したいのは困難なことばかり。それをどうにか実現させるのが僕の仕事であり、生きがいなんです

しかし客観的にみると、「不真面目」と沼田が断じたかつての吉原と、なんでもかんでも言うことを取り入れようとする「優しい」寛人と、何が違うだろうか。尊敬する人の意見を取り入れサークルの仲間を置いていった吉原と、いろんな人の意見を取り入れて昔からの客を見捨てていく寛人と。

そう考えると変わったのは沼田の意識だ。沼田はこんなことも言う。

『変わらないでくれ』だなんていうのは、あまりに無責任だと思いますよ。大学時代の知り合いで、若者を食い物にするようなビジネスをやっていたヤツがいましたけど、最後は悪事が露見したようで、今となってはどこで何をしているかもわかりませんし、連絡もつきません。もし誰かが彼を引き止めて、変えてあげていれば、違う結果になっていたかもしれない……

だからこそ、寛人に尽くすことは、かつて吉原にしたくてできなかったこと。吉原に必要とされなかったことで絶望した記憶があるから、寛人から必要とされなくなることが恐ろしくてなんでも言うことをきくし、笑顔の練習をしてまで常に笑顔でいるようにする。寛人が失敗しないように、かつて吉原にそうできなかったことを果たしていく。

あるとき銭湯ブロガー関根を考える会に招いて議論をする場を設けることになる。その際関根に、杉乃湯は中途半端だと言われる。若者と年寄りとどっちをとるかせめて決めろと。それを聞いて沼田は、いつもの笑顔を浮かべてただ黙っているだけだった。

杉乃湯を豊洲にオープンし、高円寺の店舗を閉めてマンションにしてしまうという話を聞いて主人公は思う。

今となっては分かる。沼田さんが言っていたことは、完全に当たっていた。寛人さんはきっと、生まれつきそう言う人なのだ。誰にことも等しく愛していて、誰の言うことも等しく信じていて、それらをひとつひとつ、片っ端から拾い上げてやろうとする。もちろん、普通の人はそんなことできない。疑わしいものは排除するし、拾い上げたものをすべて実現するなんて無理に決まっている。しかし、寛人さんの善人すぎるほどの素直さと、そして沼田さんの病的な献身があれば、ここ半年ほどの杉乃湯がそうであったように、寛人さんはどこにも辿り着くことのない人生を、意図的に流されながら永遠に継続できるのだ。

ただ、「高円寺の店舗を閉める」ということは、これまでと違うと主人公は思う。明確に切り捨てられた人たちがいると。

寛人さんを信じてついてきた考える会のメンバーたちや、杉乃湯を何十年もの間支えてきた常連客たち。優しい寛人さんに、かつて彼を愛した人たちを喜んで切り捨てさせるような、そんな残酷な決断に誘導した人間が、もしかすると彼のすぐそばにー

もちろん沼田だ。「沼田はどうするのか」という問いに寛人は答える。

今回の決断も、実を言うとほとんどが沼田くんのアイデアだし、そのうえ、彼はその実現のために駆け回ってくれたんだ。いやぁ、沼田くんは素晴らしいパートナーだよ本当に彼と出会えてよかった。僕はもう彼なしに生きていけないし、きっと彼ももう、僕なしには生きていけないだろうから

ここに沼田の重い決断がある。沼田はとにかく、吉原を救いたかったのだ。吉原の決断を見送り、手を貸さなかったことで吉原がダークサイドに落ち、失脚していったこと。そこに大きな責任を感じているのかもしれない。

だから「寛人の幸福」が最大になる選択を、進んで選んでいく。それがたとえそれまで支えてくれた人を裏切る決断をしてでも、寛人を守るために動く。寛人を支え、したいことのすべてを実現していくこと、なすべきことを助言し導いていくこと。それこそが吉原にしたかったことのすべてであり、自分の魂を救うにはその方法しかなかったのだ。

でもそこに本当に沼田自身の意思はあるのだろうか。結局のところ、何も自分の責任で動いていないのは、沼田も同じなのではないだろうか。もしかしたらパーソンズを辞める原因がそのメンタリティに関わっているのではないかと少し思ったがそれは描かれていないので分からない。

寂しくてかなしくないですか。ねえ。

と、いうわけで

この作品では、令和の時代に人生ゲームを戦っていくということがどういうことかが描かれているのだが、本記事ではそこから外れ、沼田にフォーカスして読んでみた。沼田愛が止まらない。

各主人公にフォーカスして読んでも、人はそれでも生きていくのだなあと読んでいてなんか人の弱さとしたたかさと力強さを少し感じる。人生ゲームを生きていくとは、きっとそういうことなんだろう。沼田だって、結局降りることはできなかったのだ。
ま、無職で人生ゲームを始めさせてすらもらえないわたしが言うのもなんなのだが……

 

わたくしからは、以上です。

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