鏡公彦はあるとき、自殺した妹佐奈が三人の男に強姦されていたという事実を知る。その密告者は犯人の名前と所属、さらにその娘・孫たちの名前と所属とその行動表を公彦に渡す。それを受け取った公彦は……
また並行して突き刺しジャックの犯行は続く。明日美はその犯人に「接続」し、その犯行を目撃してきた。ある事件をきっかけに、明日美は犯人を探すことにして……
とことのあらましだけを書くと普通の二篇の復讐譚になってしまうのだが、なかなかそうはいかない。佐藤友哉の作品を読んだのは初だが、なんだこれは。
最序盤、主人公はこう宣言する。
断言するが、素晴らしき我が一族、鏡家は壊れている。
長女も長男も次男も次女も四女も、見事なまでに破壊されていた。
この文の文意には主人公本人とその妹で三女の佐奈は含まれていない。
実際、主人公の一人称視点で小説は進んでいくので、主人公はまともに見える。怒りも復讐心も、極端だが理解できる、自分ならやらないがそういう思考になる人がいても納得できる、というものに映る。
しかしそうではない。
主人公と登場人物の話が噛み合わないのは、何もその会話の対象である鏡家の兄姉が壊れているからだけじゃない。
この小説に出てくる登場人物は、誰も彼もがまともじゃないのだ。主人公もそこから逃れることはできない。佐奈もそうだ。誰も彼もがまともじゃない。
唯一まともな人間がいたとすれば、主人公が拉致した二人のうちの藤堂友美恵だけだろう。異論は認める。
繰り返される詰問の皮をかぶった自問自答。的中率100%の姉の予言。廃病院。復讐の連鎖。結局駒でしかなかったのか。主観と客観。生きていく意味。そして最後に明かされるある種最高の救済。物語がまだ終わらない予感。
スカした地の文でスカした問答を行う主人公にはどこか線の弱い印象を受ける。これは適切な表現かは分からないのだけれど、どこか村上春樹みがある。と思ったら、サリンジャーのオマージュらしい。ああ「うってつけの」もそれか。わたしの勘もそう遠くはない。だからなんとなく、懐かしい感じがした、主人公視点の地の文にも、言葉のやり取りにも。同意してくれる人少ないかもだけれども。
いやーしかしなんだろこの小説。すごかった。何度もハッとした。これミステリ読み慣れてたら疑いながら読んで、途中あたりから分かってくるんだろうか。わたしにはまったく分からなかった。だからこそ救いもあったのだが。そしてぶっとんでいるだけではなく、極めてまともである。さすがメフィスト賞。解説で斜線堂有紀はこう書いている。
本作は、本格ミステリであり、ノワールであり、サスペンスであり、青春小説であり、SFであり、伝奇小説でもあり、純文学でもある。
まさにそう。全部盛りなのだ。そして指摘の通り純文学的でもある。サリンジャーのオマージュなのならそれはそうなのだが、主観と客観、実在と非実在、行動の指針や規範を規定するものについて結構しつこく書いてあって、考えさせられもする。
そうそう今回この小説を読んだのは、斜線堂有紀を産んだ小説だからという理由からだ。そしてその斜線堂有紀が解説を書いている。
斜線堂有紀の解説から溢れる佐藤友哉愛を受けてわたしは戦いた。一つの小説が、これだけの熱を一人の人間に与え、その力で作家になるに至ったのだ。なんということだ。
斜線堂有紀も売れてから(というか昨年の夏に)知ったばかりでファンの中でもわたしは全然ペーペーなのだが、売れるまで結構苦労があったようだ。わたしはてっきり斜線堂は舞城王太郎が好きなんじゃないかと思っていたんだけれど、佐藤友哉なんだね。
斜線堂を産んでくれたことに感謝して、この記事を終わりにしたいと思う。鏡家サーガ続編、読みたくなりましたとさ。
わたくしからは、以上です。
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しかしすげぇ小説読んだな……
— mah_ (@mah__ghost) 2024年6月3日