【読書感想】私が大好きな小説家を殺すまで / 斜線堂有紀

人気小説家遥川悠真が失踪した。失踪事件受けて遥川悠真の自宅を刑事が捜索していると、そのウォークインクローゼットを見て驚く。そこは、赤いランドセル、クローゼットに掛かったブレザー、など少女が過ごし育っていった様子が見て取れる一角となっていた。部屋は荒らされていたが、唯一無事だったものは、妙な文章だけだった……

 

<ネタバレ>

 

その文章は、このような一文で始まっていた。

 憧れの相手が見る影もなく落ちぶれてしまったのを見て、「頼むから死んでくれ」と思うのが敬愛で「それでも生きてくれ」と願うのが執着だと思っていた。だから私は、遥川悠真に死んで欲しかった。

その文章はどうやら暴居梓という先日漫画喫茶で自殺未遂をして入院中の女性が書いたもののようで、そこには、実母による虐待、遥川悠真の神格化、自殺未遂、遥川悠真との出会い、その後のことが克明に記されていた……

梓と遥川悠真はいろいろありまくって、梓が遥川悠真のゴーストライターを務めることになる。元々は小説が酷評され何も書けなくなって堕ちていく遥川を見ていられなくなった梓がなぐさめるために小説を書き、見せたものだった。それを遥川がそのまま一語一句盗作し、出版したのがすべての始まりとなった。

いやこれ結構ホラーだよなー。
こういう行き場のなくなった子を家に誘う男性、その男性とある意味共依存になってしまうという話は別段珍しくもないのだが、斜線堂有紀はただの「ストックホルム症候群」だの「愛」だのでまとめない。もっと純粋でもっと複雑でもっとおぞましいものを描き切る。狂気でしかないものを、狂気でしかないままに書いていく。

斜線堂有紀は、あとがきでこのようなことを書いている。

「才能を愛された人間は、その才能を失った後にどうすればいいのか」あるいは「誰かを神様に仕立ててしまった人間は、変わりゆくその人とどう向き合えばいいか」の話でした。誰かが誰かを救おうとした時に発生する救済の責任の話でもあります。感情の為に最適解が選べない人間の話でもありました。

こんなに著者が正解を教えてくれるのも珍しいが、そういうことらしい。

「救済の責任」。つまり、死のうとする梓を助け居場所となった遥川悠真の責任、遥川悠真に小説を見せ表舞台に戻した梓の責任。

最後のデートの終わりに、二人はホテルで一夜を明かすのだけれど、斜線堂有紀でこうしたシーンがはっきりと描かれるのって珍しいなと思った。そういうシーンは敢えて描かないのかと思っていたのだが、物語の必然性があるときは書くのね。かなり淡白だったし、読者に想像力がないと何したかわからんだろうけど。

ラストで梓が自分の中にあった気持ちに気づく。そして遥川悠真がかつて自分に言ってくれた「俺はお前を、見てるからね」という言葉を思い出しながらおそらく列車にひかれる、遥川悠真が命をたったのと同じ駅、同じ列車で。

遥川悠真が梓を見ていた分、梓も遥川悠真を見ていた。お互いがお互いをどんどん縛っていった。この救いの無さの中にあって、梓が最後自分のなんらかの気持ちに気づけたのなら、あの夜のことが救いとなったのかもしれない。そうするとあのシーンはやはり描かれるべきシーンだったということになり、お見事でした、ということになる。