博士の奮闘記「バッタを倒しにアフリカへ」(前野ウルド浩太郎)

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おろかしい失敗

わたしは元大学院生である。なぜ大学院へ進学したのか。それは学部4年のとき、就職活動に失敗したからである。全人生を否定され、心がバキバキに折れ、逃げ込むようにして大学院へ進学した。

しかし、別に研究したいことなんてない。無難に修士課程を修了し、こんどこそ就職活動を頑張ることだけが、念頭にあった。だが落ちこぼれのわたしは1年も経たずに不登校になってしまう。なんとか公務員試験に受かり就職できたが、時間と学費の大きな無駄遣いであった。

だからこそ、大きな夢を持ち、必死で努力してきた前野ウルド浩太郎が眩しい。本来こういう人が学者の道に進むべきなのだ。

バッタを倒しにアフリカへ(前野ウルド浩太郎)

この本は、バッタを研究しているポスドクの筆者が、実際にアフリカへ赴いてバッタを研究し、アフリカのバッタ被害をなくすべく日夜努力してきた奮闘記である。

とかサラッと書くとそれだけのことなのだが、実際にはそれだけのことではない。生半可じゃない。必死どころの話じゃない。熱い物語だ。

ざっぱなあらすじ

バッタ博士である筆者は、博士号取得後のポスドクの期間を、日本にいて実験室で研究をするのではなく、バッタの本場でフィールドワークをすることにするべく、アフリカのモーリタニアへ行くことにする。

研究は順風満帆とはいかず、最序盤を除けば、大干ばつのためバッタがまったく現れない。仕方ないので他の虫の研究をしたり、書籍を書いたり、フランスの研究所で実験をしたりして過ごす。ようやくバッタの群れに遭遇するが、あっさりと逃げらたり。

そうこうしている間に研究費の給付期間の終わりを迎えるが、貯金を崩してフィールドワークを続けることにする。その際に、バッタ研究がどれだけ意義あることなのかを世間に知らしめるため、日本でトークショーを行ったり、雑誌連載を持ったり、ニコニコ超会議で登壇したりする。また、京都大学に所属が決まり、給与をもらいながら研究に没頭することができるようになる。

そしてついに、モーリタニアにバッタの大群があちこち発生し、存分に研究することができるようになる。そしてその貴重な実験データを持って、日本に凱旋帰国する。

読んでいくぞ

臨場感、ありすぎぃ!

この本は、まあ大体のエッセイがそうであるように、著者視点、一人称「私」の文章によって成り立つ。その文章のひとつひとつに、臨場感がありすぎなのだ。一緒に生活し、一緒に研究をし、一緒に怖がり、一緒に途方に暮れ、最後にはカタルシスがある。そんなふうに感じる文章たちだった。

街中は一部しか舗装されておらず、砂だらけで雑草の類もまったく生えていない。もともと植物がほとんど生えていない上に、ヤギに根こそぎ食べられてしまっている。

合流した調査部隊の隊員が指差す方向に行くと、縦横30mほどの黄色いじゅうたんが地面を動いている。群生相の幼虫が、一斉に同じ方向に向かって行進してるではないか。群生相に特徴的な「マーチング」と呼ばれる行動だ。生でみられた感激のあまり、泣きそうになった。

深夜、棒になった足をマッサージしながら簡易ベッドに横たわる。風がテントをはためかせている。なんと心地よい疲労感だろうか。よくぞ、この舞台が整うまで諦めなかった。耐え忍んできた努力は無駄じゃなかった。諦めずに勝負を賭けようとした決断に拍手を送ろう。

意志、突破力、強すぎぃ!

バッタ研究を一生の仕事にする、バッタ研究を究めひいてはアフリカの食糧難に貢献したい。著者はこの意志がものすごく強い。諦めるタイミングは何度もあったはずだが、その都度自分を鼓舞し、最適な行動をとり、結果として研究をずっと続けていれるようになる。

限界の二者択一

著者は、バッタ研究が思うように進まないうちに、学振からの2年間の研究費の給付期間が終わってしまい、貯金を切り崩して研究を続けるか迷った。

今後、私がとるべき道は二つ。日本に帰って給料をおらいながら別の昆虫を研究するか、もしくは、このまま無収入になってもアフリカに残ってバッタ研究を続けるか。

結局アフリカに残ることとする。その間申請していた研究費の給付が受けれるようになり、支給された研究費は研究に使い、貯金を生活費とすることにした。

貯金はそれほど潤沢なわけではない。またバッタが現れるかどうかも分からない。しかしそれでもアフリカに残る決意をしたことは、人生を賭ける挑戦をすることにしたことは、ものすごい意志の強さの表れだろう。

限界突破

バッタ研究を世に知らしめ、重要性を認識してもらうために、著者は一つの決意をする。

自分自身が有名になってしまえばいいのだ

これは、自分が今まで異分野の人に興味を持つときは、その人自信に魅力があるときだと気づくのだった。

しかし、売名行為は研究者の掟に反するものだった。私の経験によれば、研究者が研究以外のことをしていると、遊んでいるとみなされ、不真面目の烙印を押される。

一発逆転を狙う弱者には、もはやこの道しか残されていない

こう考えた筆者は、研究以外の広報活動を積極的に行う。用事で一時帰国するとき、行動にでる。

  • 自著の書店でサイン会とトークショーを行う
  • プレジデントで連載を持つ
  • ニコニコ学会β 登壇

研究活動からは遅れをとってしまったが、回り回ったおかげで、大勢の方々から研究を進める上でのかけがえのない武器を授けてもらった。自信に満ち溢れた確固たる無収入者へと変貌を遂げることができた。

研究の持続性

しかし有名になるだけでは研究をずっと続けていくことはできない。パッタの研究で食べていけなければ、憧れの昆虫学者にはなれない。

著者は研究から離れたわけではない。研究を続けながら、無収入を脱すべく、京都大学の若手研究者向けのポストを手にすることとなった。このことで研究の持続性は、一度は担保できた。こうしたものは、ひとえに著者が実直に積み上げてきた成果によるものだ。

こうしてポストを得ることによって著者は現地にとどまり、結果大量のバッタの群れに遭遇し、研究も進みまくった。

連日に渡り夜間観察を続け、群れの着地場所の好みをつかめてきた。今や観察ノートの価値は5億円を優に超えるだろう

現地民、スパゲッティ茹ですぎぃ!

30分は、ない。

とにかく、ファーブル好きすぎぃ!

「ファーブル」という人物名がこの本の中では62回使用されている(目次は除く)。著者のファーブル愛がとにかくものすごい。

どちらに進んだ方が自分のなりたい昆虫学者、ファーブルに近づけるだろうか

昆虫学者のファーブルは、自分自身で工夫して実験を編み出し、疑問に思った昆虫の謎を次々に暴いていく。なんてカッコいいんだろう。私は、どんなヒーローよりもその姿に憧れを抱き、っしょ浦井は自分も昆虫学舎になって昆虫の謎を解きまくろうと決意した。

フランスのモンペリエは、なんとファーブルが学位を取得した地だ。ファーブルが研究してた地で、自らも研究できるとはなんと感慨深い。彼と同じ空気を吸えるかと思うと呼吸すらありがたかった。

「もしかしたらファーブルもここでコーヒー片手クロワッサンを頬張っていたのでは」

今回、自分の昆虫記を出すということで、どうしてもファーブルに直接報告し、出版前の原稿を捧げたかったのだ。昆虫記になるのを待ち構えている原稿が、憧れの昆虫学者とともにある。今頃、ファーブルもきっと喜んでくれているはずだ。

ファーブル愛しかない。そして最後にはこうしめる。

憧れた人を超えていくのは、憧れを抱いたものの使命だ。・アフリカでの闘いを終え、いまだにファーブルを超えることはできていないが、サバクトビバッタのことならファーブルにすら負けない自信がある。自慢できることがたった一つだったとしても、憧れを抱いた人を一部分でも超えられるものができたことを、私は誇りに思う。

良さしかない。

 

良さしかない

学者連中から何を言われ、誹られるかは分からないけれど、こうしたひたむきな思いを持った若者が必死で何かを掴もうとする、その姿に感心したし、自分のことを振り返りもした。

わたしのファーブルはなんなのだろうか。39歳にもなって、自分探しをするってわけにもいかんけど。