入院するときorお見舞いに持って行きたい漫画と本

突然だがわたしは入院に関しては一家言ある。なぜならこの8年で12回に及んで持病をこじらせ入院しているからだ。各回の平均入院期間は3ヶ月ほどである。暇の過ごし方ならまかせろ。
そう、入院は暇なのだ。そのときどきによりゲームを持って行ってずっとやっていたり、朝から晩まで塗り絵に興じたり、同じ入院患者さんと食堂でずっとテレビを見続けたりと、さまざまな過ごし方をしてきた。そうした中、一番好きな過ごし方は自分のベッドで静かに漫画や本を読むことだ。俗世から離れ、人間関係を拒絶し、しかし世界と親しく向き合っていくような、入院読書はそういった特別な感覚を覚える。

そうしてこの8年間、結構な量の本や漫画を読んできた。今回はその中から、入院に持っていくのにおすすめの本や漫画を少し紹介して行きたい。

バーナード嬢曰く。1巻から7巻(施川ユウキ

舞台はとある高校の図書室。「本を読まずにしったかぶりたい」という願望を持つ「バーナード嬢」こと町田さわ子とそれを面白がる遠藤くん、ツッコミをいれつつ真面目に本を勧めてくれるSF好きの神林、図書委員でシャーロキアンの長谷川さんたちがわいわい楽しみながらさまざまな小説、書物について語らう、読書への招待的漫画。

バーナード嬢曰く。2巻より

主人公が読書にまったく詳しくない町田さわ子なので、読書にまったく詳しくない読者でも、いやそういう読者だからこそ楽しめる漫画。
まったく知識の無い段階から、長谷川さんや神林の勧める本のタイトルを知ってどんどん読みたくなっていく。

バーナード嬢曰く。2巻より

そのことについて一つでも多くのことを知っていること。これがそのことを大好きになっていく一歩だ。そういう意味で、さまざまな本のタイトルを知っていけるというだけでもこの漫画には価値がある。

この漫画のストーリー自体も面白く楽しめるのだが(女子高生の友情もの)、そこから広がって、さまざまな書籍への興味が養われる。

入院中にあえて読みたいのは、この漫画を読むことで「読書が楽しみ」という経験ができるからだ。読書というのは言うまでもなく世界が広がる体験そのものである。その広がり方は、しかも際限が無い。だから「読書が楽しみになる」というのは世界そのものが楽しみになるということなのだ。そのワクワク感だけでも価値がある。病院にいながらにしてその広がりを想像できることに大きな意味がある。

この漫画を読んで知った作品を、kindleで買い足すでもよし、お見舞いに持ってきてもらうでもよし、退院後の楽しみにしてそれを励みに入院生活を送るでもよし。とにかく入院中に狭いベッドの上で読むことで、読書による世界の無限の可能性を実感するような体験ができる、そんな漫画だ。

深夜特急1〜6(沢木耕太郎

今度はベタにベッドから世界を広げていく作品。言わずと知れた名旅行記、「深夜特急」の再評価である。ベタベタのベタだけれど、ベターなだけの理由がある。

本書は、「インドのデリーからロンドンまで乗合バスで行ってみたい」と思い立った著者が仕事を全てぶん投げて旅に出て、実際にロンドンまで行った旅行記である。1巻から6巻はそれぞれ、

  1. 香港・マカオ
  2. マレー半島シンガポール
  3. シルクロード
  4. インド・ネパール
  5. トルコ・ギリシア・地中海
  6. 南ヨーロッパ・ロンドン

というラインナップになっている。そもそも出発地点のデリーに行くまでに相当の時間をかけていることが分かる。

なぜこんな無謀な計画を思いついたのか。それを筆者は次のように説明する。

ほんのちょっぴり本音を吐けば、人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、血湧き肉躍る冒険大活劇でもなく、まるでなんの意味もなく、誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂なやつでしかしそうにないことを、やりたかったのだ。

深夜特急1より)

「誰にでも可能で」というところに着目したい。
そう、「デリーからロンドンまで乗合バスで行く」という計画は、物理的には誰にでも可能だ。つまり、今入院して狭いベッドの上にいる自分にも、もしその気になればそれができるのだ。
このことにより、この旅行記は、もしかしたらありえたかもしれない自分の身の上に起こったことが書いてあるということになる。だから楽しいのだ。活き活きと語られるさまざまな経験、出会った人。してやられたりしてやったり、いい出会いもあれば胸糞悪い出会いもある。それらはすべて、自分の身に起こったかもしれない出来事なのだ。

この旅行記は、狭いベッドのカーテンを引いてベッドの柵に寄りかかり三角座りで本を読んでいる、そんな自分がそのままベッドにいながらにして、広大なユーラシア大陸の旅を経験できる、そんな作品なのだ。

また、さまざまな人との出会いで著者が少しずつ変わっていくというのもよい。袖触れ合うも他生の縁と言うが、これは入院生活にも援用されるだろう。閉じこもらず、誰か他の入院患者と話してみるのもあるいはよいかもしれない。

鬱屈としがちな入院生活に大きな広がりがもたらされる、そんな読書体験ができる。ベタベタのベタだけれど、あなどらずにぜひ入院のお供にしてもらえるといい。

 

COJI-COJI 新装再編版1〜3(さくらももこ

この漫画がわたしの大本命。さくらももこの放つ名作「COJI-COJI(コジコジ)である。新装再編版を推すのは表紙がとても可愛いからである。

COJI-COJIは、宇宙の子コジコジがメルヘンの国で学校に通ってさまざまなクラスメイトとあれやこれやと過ごすだけの漫画だ。

メルヘンの国だけあって、登場人物も愉快な感じだ。

太陽の城の神様ゲラン。

天使の吾作。

かみなりの城の神様ドーデス。

謎怪人のスージーと悪魔のブヒブヒ。

(いずれもコジコジ新装改編版1巻より)

その他、てるてる坊主のてる子、やかんくん、正月くんなど個性あふれる面々が登場する。

さて肝心のコジコジは、自分の名前もカタカナでまともに書くことができずテストで0点以下のマイナスの点数を取るような子だ。

COJI-COJI 新装改編版1巻より

しかしその一方で、さまざまなことについて「真理をついて」いるような発言をする。

COJI-COJI 新装改編版1巻より

コジコジにとっては何かを定義したり名前をつけたりすることが意味をなさない。

こんなシーンもある。

COJI-COJI 新装改編版2巻より

コジコジは「オーロラ」と名付けられたものをありがたがるのではない。現象そのものを、美しいものとして受け止めるのだ。
この心をわたしたちも思い出して生きていきたい。

最も有名な一節は次のようなものだ。

COJI-COJI 新装改編版1巻より

コジコジは生まれた時からずーっと 将来も コジコジは コジコジだよ」

この名言はさくらももこ好きの中ではテッパンなのだが、この気持ちが入院生活でかなりの救いとなる。自分は自分で、何がどうなろうと、そう病気になろうと手術を受けなければならなかろうともし病気が治らなくても、自分は自分なのだ。あるがままを受け入れる。というか、受け入れると言うか、それはそうあるのだからそうなのだ、という感じ。受け入れるも何も無い。そうであるのだ。ただそれだけ。

治療で何か怖い思いをするとき、病気で自分が変わってしまったと感じてしまうようなとき、この漫画を読んで思い出したい。わたしはわたしなんだよな、どこまでいっても。ということを。

余談だが「COJI-COJI」に登場する何人かの人物(人ではないが)が出てくる「神のちから」はスーパーシュールで絶句するので、併せて読んでみてもらいたい。

 

以上終了だ

というわけで違った作風の3作を紹介した。入院時に自分で持参する場合も、もし誰かが入院してお見舞いに何を持っていくか悩んでいる場合も、参考にしてもらえると嬉しい。それぞれの作品は、どの巻から読んでもとくに支障なく読める(まあ深夜特急は頭から読んだ方がいい気もするけれど、臨場感的に)ので、気負いなく手に取ってみてください。

わたくしからは、以上です。