【作品集感想】ごあいさつ / 岡部杏里

岡部杏里さんのファースト作品集。見開きで四首、計百首が掲載されている。

めちゃくちゃよかった。

多くの単語をひらがなに開き、平易な言葉で誰にでもわかるように、しかし誰でも簡単に切り取れるわけではない感情を歌にしているという印象を受けた。

「ごあいさつ」のごあいさつの一首目はこんな歌。

天井がどうして僕をぺしゃんこにしようと思わないのか不思議

いきなり心にくる。
一人で部屋にいるとき、ぼんやりと天井を見つめる。「どうして僕をぺしゃんこにしようと思わないのか」と思うということは、自分自身が天井であれば、僕のことなんかぺしゃんこにしてしまうのにという自分自身への肯定感の低さの現れなのかなと思い、とてもさびしい気持ちになった。

 

風景のようにひろがるひとごみの中でひとつの風景となる

こういう、同じ単語が一首に二回出てくるみたいな短歌がたまにあって、それが生きていていいなと思った。
自分もまたひとごみの中のひとりとして、全体としてひとつの風景をなしているという、なんか何者にもなれなかったさびしく悲しい感じと、でもその風景の一員となれたことに対しては少しほっとした感じ。結構多くのさびしんぼが抱えている気持ちをうまく切り取っているように思った。

ふってくる雨のひとつぶひとつぶが街へしずかにしみこんでゆく

この歌にも、同じようなさびしさと安堵感を感じた。「ふってくる雨」というのはそれだけでそこはかとなくさびしい感じがするけれど、しずかにしみこんで街の一部になっていくさまは、やはり少し安心するような気持ちになる。

生きているものたちみんなあつまって生きているこの今を楽しむ

そうよね、生きているからにはみんなで楽しまないとね、と思わせておいて、実はここには人が含まれていないことが、次の歌で分かる。

ひとだけがうたっていない生きものがみんなうたっている公園で

なるほど。
ひとだけが考えすぎてしまうからうたっていないのか、ひとだけがしらけすぎていて生きることそのものを楽しむことができないでいるのか。いずれにせよ、人だけが仲間はずれ。人だけが集まって風景を作っていても、自然の生きものたちの中では人はいつも別の世界を生きているようだ。

真夜中のだあれもいない空間にむかってただいまと言ってみる

外では人ごみとはいえ街の風景の一部でいられたわたしたちも、家に帰ると本当の一人になる。と、書いてみて思ったのだが、わたしは三人兄弟だったから家に帰ると大抵誰かは家にいて、そのまま犬を連れて結婚したので、夫がいなくても犬が常に家で待ってくれていて、こうした本物の(物理的な)一人を経験したことがない。
だからこの短歌が表している感情はもしかしたら本当には理解できないのかもしれない。どんな気持ちなんだろう。多分だけどこの主人公は一人暮らしな気がするので、あとから誰かが帰ってきて「おかえり」を言うこともないのだろうな。その心細さは、想像でも苦しい。

またおなじまっくらの夜がやってきてハロー暗やみぼくのともだち

「ハロー暗やみぼくのともだち」はサイモン&ガーファンクルの「The Sound of Silence」の本歌取りだけれど、この歌と元の歌詞との違いは、暗闇が「やってくるのか」と暗闇の「元へいくのか」だ。S&Gの曲では「I've come to talk with you again」(きみと話しにやってきたよ)という歌詞。このthe Sound of SilenceはS&Gの曲の中でかなり好きな方なのでこの短歌に食いついてしまった。

暗闇の元へいくより、暗やみがやってくることのほうが絶望は深いだろう。でもそれは慣れっこなのだ。「ともだち」と言い切れるくらいに。でもその「ともだち」を思う時、きっと心は苦しくなるだろう。会いたくない時にも必ずやってくるともだち。

自動車の音がするからまだそこに世界があるというのがわかる

時間は朝だろうか昼だろうか。それとも静かな夜だろうか。たとえばテレビも何もかもを消した部屋でぼーっと空中を眺めているような時、たとえば夜眠るためにベッドで目を瞑っているとき、はたまた朝目が覚めたけどまだ起きたくなくて目を開かないでいるとき、外に自動車の音がする。やっぱりさびしさと安心感のコントラストが絶妙で。それが持ち味なのかなと思う。このへんのさびしさの切り取り方は、さびしい思いを抱えながら生きている人にしかわからんだろうね。

対してこんな歌もある。

ここにまだ世界があるということを確かめあっているような夜

そんな夜もある。この自分の部屋(存在の一部)から外の世界ではなく、今自分が存在しているまさに「ここに」世界がある、その一部として自分が存在するということを確かめあっているような夜がくる。
そんな夜はいつか終わってしまうときがくるだろうけれど、まだ世界は存在しているということを一瞬でも分かり合えるということは、やはり安心感を得られるものだろう。

 

などなどの中で、もっとも好きな歌を。

前かごに乗って背中をまっすぐにのばして道をまっすぐに犬

自転車の前かごに乗せられた犬が背中を伸ばして道をまっすぐに見ていると言うだけの歌なのだけれど、犬を買っていて自転車の前かごに乗せて出かけたことがあるものならばこの歌は外せないだろう。
犬は、どこへいくか知らない。けれど背中をまっすぐに伸ばしてまっすぐに道を見ている。そのまっすぐさに心惹かれてしまうのは、まっすぐには物事を、ここから先の道を見るということができなくなってしまったわたしたちのかなしさ故だろう。
好き。

 

他にもたくさん心惹かれる短歌が並んでいる素敵に寂しい作品集だった。よかった。