衝撃だった……
短歌は基本的に書き手の一人称と思われることが多い。かつて新人賞で父の死をテーマにした連作があって、本当は父が生きていて死んだのは祖父だったっていう事実を、ベテランに激怒されたみたいなものも読んでいた。だから自分も、作者の一人称として読まれることを想定して作っていた。想像のことを書くとしても、生身の自分が主人公って意識で。
だから衝撃だった。こんな短歌もアリなのか。
中でも「罰当たり三郎の青春」と「日本怪奇紀行」は読んで感動すらあった。
自分も一人称で読まれることを想定して作っている、とは上で書いたが、力をつけたら自分以外の想像の物語を短歌に切り取って作ってみたいと思っていた。とくに古典SFを読み込んでSF短歌をやりたい、あるいは小説ではそこそこあるマジックリアリズムの手法を取り入れたい、そう思っていた。
そんなの別に新くもなんともないんだ……!!!!
と、頭をドカーンと殴られた気分だ。
「罰当たり三郎の青春」の一連は、三郎が池の主を刺身にして食べて奇病にかかるという話なのだが、手塚治虫のブラックジャックを思い出す雰囲気だった。緊張感がある。
池の主を刺身にしたる三郎の奇病あやうし夜の呻き声
刺身にしちゃったんだ……。
皮膚が鱗になる奇病というのが、ブラックジャック的なのかなと。あと長老や女祈祷師が出てくるあたりが、ブラックジャックがどこかの秘境に赴いた感じに思えるのかな。
「日本怪奇紀行」の一連は、怪奇をめぐる紀行をテーマにした一連で、子供の頃に怪奇ブームを超えてきたわたしとしては楽しく読んだ。
寄りそいて濁酒あおれば山姥のはだけた胸もよしと思えり
山姥というのは山中で道に迷った旅人に宿を提供し食い殺す妖怪だが、濁酒を飲んでしこたま酔っ払えばそんなおばあさんですらない妖怪にすら女を感じてしまっている。面白いなと思った。
こんぺいとう散らばる庭に干されいて座敷童の小さな布団
座敷童がいる家はお金持ちになると言われいるが、その一方で、座敷童が去ってしまったらその家は滅びるとされている。なので、離れないように庭にはこんぺいとうを撒いて、専用の布団までちゃんと干しているという光景が、座敷童と家の人とこの短歌の主人公の人の気持ちが全部入ってていい歌だと思った。
夕焼けの鎌倉走る サイドミラーに映る落武者見ないふりして
あはは。これはなんかあったあったって思いながら読んだ。高速走っていたら幽霊がものすごい速さで並走してくる怪談あったよなあと。鎌倉の落武者だからだいぶ年季が入っている。その間一体何人の人がこの落武者を見ないふりしてきたのだろうかとか、やっぱり落武者が猛スピードで走っている画というのがシュールすぎて、落武者自体は汚いというか戦いでボロボロになってしまったイメージなのに、よく考えるとちょっとだけシュッとしたところがあって面白かった。本当は窓外に海を眺めてドライブするはずが落武者ビューとなった運転手はどんなことを考えていたろう。
他に好きだった歌をいくつか。
何時まで放課後だろう 春の夜の水田に揺れるジャスコの灯り
有名な歌。わたしが知っていたくらいだから超有名なのではなかろうか。水田が近くにある青春は送っていないはずなのに、ジャスコも生活圏に一軒もなかったのに、懐かしい。実際何時までが放課後なのだろう。子供にとっては、放課後なのか夜なのかで大きく差がある。その青春の取り返しのつかなさみたいなものも感じて、エモかった。
なにもかもめんどくさいぜ。アルマーニ着たまま風呂に浸かる夕べ
これ分かると思ってしまった。わたしも仕事が限界で夜凍えながら帰ってきた日に、「どうせ洗濯する時濡れるんだし」と思って服のまま風呂に浸かったことがある。何もかもめんどくさいとき、服なんか脱いでられん。一旦風呂に使ってリセットして、我に帰って、それから脱ぐくらいの日が誰もにあるのだ(あるのか?)
運転手も家族もみんな立っている人生ゲームの外車(コマ)の静けさ
これ確かにって思った。人生ゲームのコマって車に人を差すんだけど、確かにみんな立っている。それを認識すると、我に返る一瞬がある。人生ゲームを遊んでいる時というのは大体がものすごい盛り上がっててキャーキャー言っているものだが、ふとコマを見るとシュールに家族が並んで立つ外車が律儀にすごろくの上に佇んでいる。その落差が面白いと思った。
というわけで、雰囲気が好きとかじゃなくて、「すごい」と思った歌集だった。驚きだ。まだいろんな知らない歌人の人がいる。少しずつでも知っていきたい。